まちの”害獣”をまちの”財産”に

岩手県大槌町でジビエ事業を展開するMOMIJI株式会社 代表取締役・ハンター(猟師)の兼澤幸男さん。なぜ船乗りからハンターになり、会社を立ち上げたのか。そして今後どんな展望を持っているのか。ジビエを町の産業にしていきたいという兼澤さんのストーリーをぜひお聞きください。

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狩猟で”気持ち”の変化が

私は大槌町に生まれ、大槌の山・川・海で遊びながら自然豊かな環境で育ちました。父の実家は山側の農家、母の実家は海側の漁師。祖父の漁についていったり、川で魚を獲って遊ぶなど、私にとってはまち全体が遊び場でした。子供のころから、地元の豊かな自然に対して愛着を持っていました。

漁師である祖父に憧れ、将来は漁師になりたいと思っていた私でしたが、「漁師は収入が不安定だから船乗りになりなさい」と言われ、高校は海洋技術専門学校で学びました。卒業後は船乗りとして、8年間貨物船の乗組員をしました。私が乗っていたのは日本全国にセメントを運ぶ大きな船。一度に大量の荷物を運ぶことができる船は、トラックで輸送するよりも遥かに効率が良いです。乗っている間は船の整備や、船が他の船とぶつからないように見張り役をしました。半年間船に乗って仕事をし、1ヶ月間休むという生活をしていました。

しかし、東日本大震災の約3ヶ月前に父親が病死。さらに東日本大震災では母親が津波に流され、行方不明になってしまいました。震災後、母親を探すため大槌へ駆けつけた私は、「みんなで力を合わせて立ち上がらなければ」というまちの一体感をひしひしと感じました。「自分もなにかしなければ。地元で役に立ちたい」と思った私は船乗りの仕事を辞め、大槌に帰ることを決意したのです。大槌に帰ってきてからは、地元のガス会社で9年働きました。復興需要もあり、忙しい日々でした。

そんな私がハンターに転身をしたきっかけは、2014年のことでした。シカによる農作物への被害で、農家の祖父が育てたコメの収穫ができないという出来事がありました。今まで農家の祖父からコメをもらって食べていたので、生まれて初めてコメを買うという経験をしました。この出来事に衝撃を受けるとともに、シカへの恨みが募りました。シカを駆除してやろうと、狩猟免許を取得。ガス会社の仕事をしながら、早朝や休日にシカを駆除することにしました。

いざやってみると、ハンターの才能が開花。やればやるだけシカを仕留めることができました。もっとシカを獲りたいと思った私は、シカの習性を知るために山で観察することに。すると、シカにも人間と同じようにコミュニティや、親子関係があり、感情を持っていることが見て取れました。今まで恨みの気持ちでシカを駆除していましたが、この時から「シカを単にゴミとして扱ってはいけない、一つの命として感謝の気持ちを持って扱わなければいけない」と強く感じるようになったのです。

そこでシカ肉を有効活用するために、肉の処理・加工工場を建設してもらえないかと町に相談。すぐさま許可をもらうことはできませんでしたが、ちょうど私の他にもジビエ事業に関心を持つ若者がいることを知り、町の職員も含め、持続可能なジビエ事業を立ち上げるための勉強会を開催することにしました。(「ジビエ」とは「野生鳥獣の料理」を意味するフランス語)

様々な参考事例を知るため、全国各地のジビエ工場へ視察にいきました。しかし、全国に700施設ありますが、その多くが赤字か稼働が少ない状況でした。持続的な運営が難しいジビエの工場建設は、岩手県も大槌町も前例のない事業です。さらには、岩手県では東日本大震災で発生した原発事故の影響により、ジビエの出荷制限がありました。どのような工程を経て安全性を証明するのか、ゼロから仕組みを作る必要がありました。工場建設の金銭的なリスクを抱えないと状況が動かない中、しびれを切らした私は「じゃあ俺がやる」とお金の借り入れをして工場を建設する覚悟を決めたのです。

そこからはとんとん拍子で進みました。一人でやる覚悟で起業し、工場を建設。工場で衛生基準のルールを設け、一部制限解除を県に許可してもらいました。無事、スタートラインに立つことができたのです。

「ジビエサイクル」で町も豊かに

始めた当時は、シカの狩猟、解体、流通、ECサイト販売、メディア対応などほとんど一人でやっていました。当然、初年度は休みなく忙しく働き、きちんと休むことができませんでした。そういった生活が続くと、だんだん何のためにやっているか分からなくなっていきました。実績をあげたい一心で、お金を稼ぐためにシカを殺す感覚になっていった。命を奪っている感覚がなくなってきたんです。

まさに心身ともにボロボロで、このままじゃだめだと思った私は、休みを作って視察旅行にいきました。そこでベテランハンターさんにありのままの現状を伝えました。すると、ジビエハンターなら誰もが通る道だと共感してもらえ、心が救われました。今後も一人でやっていくことに限界を感じた私は、仲間を増やすこと、どれだけ忙しくても休みを作ることを意識するようになりました。

こうして2年目からは仲間が増え、組織としての体制が整ってきました。設立して2年が経った今では、年間270頭ものシカを捕獲し、食肉の処理・加工、商品流通、ECサイトでの販売まで行うことができました。この実績は町も評価してくれて、地域おこし協力隊の採用や、工場の拡大など支援をしてくれています。大槌の恵まれた自然環境で育ったシカの肉質は柔らかく旨味がしっかりとしていてとても美味しいです。

大槌町が目指しているのは、大槌ジビエのソーシャルプロジェクト「ジビエサイクル」を構築すること。ジビエサイクルとは、「今後の担い手となる若手ハンターを育てる→捕獲量を増やす→処理・加工できる食肉が増える→食肉として流通させる→食べてもらう→リピーターが生まれる→コアなファンがツアーに参加する→大槌に来て観光人口や交流人口になる→移住者が出てくる」という、まちにもメリットのある持続可能的な流れのことです。

震災後に生まれた前向きな取り組みとして、メディアにも取り上げてもらうことが多々ありますが、大槌町としてもジビエを町の産業にしていきたいと積極的に応援してくれています。

ジビエサイクルを他地域にも

これまで2年間やってきて、大槌のジビエサイクルがやっと一周回ったところだと思っています。仲間たちのおかげもあり、徐々に大槌ジビエの認知度が上がってきました。今は大槌を拠点に展開していますが、今後はこの持続可能な大槌モデルのジビエ事業を他の地域に広めたいと思っています。その際、先進の成功事例として「こうするとうまくいくよ」と胸を張って言えるように、より頑張っていきたいですね。そして、10年後にはジビエが大槌の産業として定着していてほしいです。鳥、豚、牛、羊だけでなく、シカも選択肢として食卓に並んでいるような未来を描いています。

写真提供=兼沢さん

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この記事を書いた人

東日本大震災で被災し、高校・大学時代は「地方創生」「教育」分野の活動に参画。民間企業で東北の地方創生事業に携わったのち、2022年に岩手県宮古市にUターン。NPO職員の傍ら地元タウン誌等ライター活動を行う。これまで首長や起業家、地域のキーパーソン、地域の話題などを幅広く取材。

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