「漁業の可能性を広げる」岩手のホタテ漁師の挑戦

岩手県大船渡市でホタテの養殖を手掛ける漁師の中野圭さん。大学卒業後に起業、そして東日本大震災後に地元にUターンし、「中野えびす丸」の船長として日々行動されています。漁業の課題や、今後に向けてどんな挑戦をしていきたいのか、お話をお伺いしました。

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地元のために何かをしたい

岩手県大船渡市の越喜来(おきらい)という地域でホタテの養殖をしています。代々漁師の家系で父親も漁師をしていて、家業を継ぐ形で漁師をしています。もともとは、地元に残りたいという思いは強くなく、中学卒業後に「外に出たい」という思いがあって、仙台市にある私立高校に通いました。そこから大学で東京に出て、東京で林業系の会社を起業しました。1次産業には何らかの思いがあったのだと思います。

転機になったのは2011年の東日本大震災です。この時は24歳。実家のあった大船渡市は大きな被害を受けました。震災翌日に大船渡に帰りました。「地元のために何かをしたい」という思いで父親に「漁師をやりたい」と打ち明けました。父からの答えは「もう無理かもしれない」。それだけ漁協も船も養殖施設も大きな被害を受けていました。

東京から地元のために何かできないか…と考えたこともありましたが、やはり大船渡で何かやれることを考えた方がいいという考えに至りました。震災から半年後に東京の家を引き払って地元に戻りました。そこからは復興支援団体で働いたり、同世代の仲間たちと岩手の若者の活動を支援するNPO法人を立ち上げたりしました。人口減少が進む地元を盛り上げるため、2011年からは継続的に8月に「okirai summer(オキライサマー)」という花火大会を開催してきました。そして漁港や船の復旧が進み、ホタテ養殖ができるようになったタイミングで漁師を始めました。2016年、30歳の時でした。

ホタテ育成の手間と努力

ホタテの養殖は春に採苗器(さいびょうき)という網状の道具を入れて、ホタテの赤ちゃんを付着させるところから始まります。大きさが数ミリのホタテの赤ちゃんが付着するので、これを大きくなるまで育てていきます。ある程度の大きさになると、養殖設備にホタテを連ねた状態でつるしていきます。これが「耳吊り(みみづり)」という方法です。おおよそ2~3年育てたら、出荷できる状態になります。養殖をしている設備(養殖棚)の掃除やホタテをつるしているロープの位置の調整など、なかなか手間がかかる作業です。通常だと朝、日の出とともに出航してホタテを養殖しているところに向かいます。ホタテを出荷する日だと夜中12時に出て朝5時の出荷に間に合わせます。

越喜来のホタテは味の濃さが特徴。ほどよい潮気と強い甘味があります。まずは何もつけずに、刺身で食べてほしいですね。あとは、焼くとまた味の濃さが引き立ちます。バター醤油で焼くのも美味しいです。

6次産業化、体験漁業で漁業の可能性を広げる

また、漁業でホタテを育てるだけではなくて色々な分野にチャレンジをしていきたいと思います。まずは「6次産業化」と言われる商品開発です。ホタテを育てて販売するよりも、ホタテを加工した商品を作ったり、その商品を売ったりしたら価値が高まると考えています。

ホタテを売るだけだったら価値は高まりませんが、そこから加工し販売することでその価値が2倍、3倍と高まっていくと考えています。また、ホタテは生のままだとおいしく食べられる期間はほんのわずかですが、加工すればおいしく食べられる期間をのばすことができます。

まずは2020年にほやの燻製(くんせい)、さらにホタテのオリーブオイル漬けを開発しました。ホタテのオリーブオイル漬けに使われるホタテは、サイズが小さかったり、形が悪かったりしてそのままでは売り物にならないホタテです。この「未利用資源」を有効活用しました。

地元の産品にこだわり、ほやの燻製には地元に生えているクロモジという木を使いました。この木の煙でほやをいぶすと、柑橘系のよい香りがします。実は私はホヤが苦手で食べられないのですが、その私でも食べられるホヤの商品を…とおもい開発。独特の臭みを消しました。

また、ホタテのオリーブオイル漬けには地元で生産されている「アップルワイン」を使いました。この商品の販売を進める方法については、マーケティングを学んでいる大学生に考えてもらいました。その大学生を教えている先生が大学の同級生というご縁でした。

また、「体験漁業」にも力を入れています。船に乗ってもらい、ホタテを養殖しているところまで行き、ホタテを水揚げし、採ったホタテをすぐに刺身やバーベキューで食べます。ほとんどは県外からの方で、ホタテ好きな方、家族連れの方などが来てくださいます。東北を旅行や観光で訪れている時に立ち寄ってくれます。実はこのような体験漁業をしているホタテ漁師はあまりいません。実はホタテの養殖をしているのは、北海道、青森、岩手と宮城の沿岸北部。大船渡市は岩手でも南側にあり、仙台や東京に近いという地の利もありますし、仙台からも車で約2時間という近さがあるからかなと考えています。

新型コロナウイルスが流行する前には、東京でイベントを開催し、越喜来の海の幸をふるまっていました。このように消費者との接点を作ることによって越喜来という地域をしってもらい、地域のファンをつくっていきたいと考えています。

ホタテ養殖の課題と今後

最近は漁場の変化を感じてきました。出荷できるホタテの数が減ってきていると感じています。その原因として考えられるのが海の水温変化。実はホタテは暑さに弱く、水温が23度を超えると弱ってしまい、死んでしまう危険性が高くなります。夏場は海水温が23度を超える日もあり、水温が高い海面を避けてホタテを沈めているのですが、水深が深くなると潮の流れが速くなります。ホタテは潮の流れによる振動に弱いのでなかなか悩ましい問題です。「採苗器」1つを入れて取れるホタテの赤ちゃんの数も、震災前は2000~3000個取れていたのですが、今は200~300。多くて500個であり10分の1ほどしか取れなくなりました。

岩手県の南側にある宮城県では、海水温が上昇してホタテの養殖を辞めてカキの養殖に切り替えているというお話も聞いています。今後もしかしたらホタテ育てられなくなるかも、ということも考えなければいけないなと感じています。例えば陸上養殖の可能性も探ってみたいと考えています。

また、高齢化もどんどん進んでいます。私がいる越喜来の崎浜という地域では、震災前に23軒だったホタテ養殖漁師が、現在7軒になりました。うち若手がいる家は2件だけです。10年後には、おそらく養殖漁師は2軒だけになってしまう。震災から20年で10分の1になるのです。ただ、逆にやろうと思えばなんだってできるので、面白いと思います。ホタテは手をかければかけた分だけ品質に帰ってくる。お客さんとの接点もどんどん作りたい。そう考えるとやることはたくさんあります。若い世代のみなさんも、漁業には不安定、高齢化などマイナスのイメージがあるかと思いますが、やれることはたくさんあります。課題が堊たくさんある分、挑戦やチャレンジの機会もたくさんあると思います。

写真提供=中野さん

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この記事を書いた人

東京大学教育学部卒業後、全国紙の新聞記者として広島総局・姫路支局に勤務し事件事故、高校野球、教育、選挙など幅広い分野を取材。民間企業を経て、2021年に株式会社オーナーを起業し、本教材「探究百科GATEWAY」を開発し編集長を務める。

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