白石市の養鶏場の4代目として生まれた志村竜生さんは、2020年に「竹鶏ファーム」の社長に就任しました。鶏に卵を産ませるだけでなく、お客さまがどうすれば喜んでくれるか、どうすれば地域と密接なかかわりを持てるか、試行錯誤を重ねながら事業を発展させています。
養鶏場の課題を解決する「竹鶏たまご」
「竹鶏ファーム」では、「竹鶏たまご」の販売を行っています。竹炭を食べさせた鶏に産ませた卵で、クセがなく、卵特有の生臭さが感じられないのが特徴です。特殊な餌を与えているので通常の卵よりコストはかかりますが、料理やお菓子の味が良くなるとたくさんのお客さまにご購入いただいています。
「竹鶏ファーム」の前身である「志村養鶏場」は昭和40年に創業しました。蔵王のふもと、白石市の国道4号線沿いで8000匹近くの鶏を飼育してきましたが、徐々に近隣に住宅が増え、養鶏場特有の匂いをどうにかしないと、ということになりました。
そこで当時社長だった祖父は、「竹炭」の脱臭効果に目を付けました。すでに竹炭を取り入れている養鶏場に何度も視察にいったりしながら、自分たちで竹炭をつくる方法を模索し、平成6年(1994年)に自社専用の炭窯を開設し、自分たちで竹を切って竹炭を作れるようにしました。平成10年に、竹炭を混合したえさと、竹炭を通した水の製法の特許を取得しました。そして、鶏に竹炭入りのえさや水を与え、オリジナルの卵「竹鶏物語」の販売を始めました。
竹炭は整腸作用があります。私も鶏の飼料に混ぜているのと同じものを飲んでいますが、やっぱり毎日調子がいいですね。飼料の質は卵の味に直結します。竹炭を与えると卵がおいしくなるのはもちろん、鶏をお肉にしても味がいいんですよ。
ありがとうの〝わ〟が生まれる養鶏場
私は、2020年に代表取締役社長に就任しました。「日本で一番、ありがとうの〝わ〟が生まれる養鶏場を目指して」ということをビジョンとして、地域とともに成長するためには、どんな養鶏場にしたらいいのか考えながら経営に携わっています。意識しているのは、「こういうものをつくりたいから売る」という考え方ではなく、「消費者に何を求められているか考えて商品をつくる」ということです。養鶏場なのであくまで売るのは卵なのですが、どんな売り方をすれば消費者に愛してもらえるか、新しい商品をつくるなら何かいいのかと考えながら事業を計画するのは、とてもおもしろいです。
この考え方の土台は、3代目の父が作ってくれたと思っています。私は、以前、養鶏場を継ぐつもりはありませんでした。大学を卒業後サラリーマンとして働いていたのですが、父がビジョンを持って働く姿を見ているうちに、私も同じ仕事をしてみたいと思うようになりました。父は、鶏に卵を産ませるだけではなく、その先のお客さまや地域の人の顔を想像して、なにかしようとするタイプの人です。祖父も、地域の人と一緒に竹炭をつくったりする人だったので、そういう姿勢はすごいなと思ったんです。
地域との関わりという点でいうと、代表取締役に就任するまえに「宮城のこせがれネットワーク」というコミュニティをやっていました。私のような次世代の経営者が集まり、交流したり、新しい取り組みをやったり、という団体です。月1回定例会を開くほか、バーベキューをしたり、マルシェをやったりしました。宮城は、若い世代の横のつながりが希薄だという問題がありました。みんなで交流しながら同じ目線に立ちながら、地域課題の解決へ向けたアクションを起こしたいと考えました。立場が変わり、私自身が取り組みに参加することは減ってしまいましたが、当時の仲間とは今も交流が続いています。
また、消費者目線の取り組みで言うと、2年前に「出前たまご」というサービスを始めました。コロナ禍でなかなか外に買い物に行けない時期が続いた時期に始めたサービスで、直接お客さまのご自宅に卵を届けに行っています。卵って、いつも割れないかヒヤヒヤしながら持ち帰るものでしょう。自宅に届けに行けば、お客さまもそういう思いをしないですむし、私たちも食べる人の顔を見て、お話することができます。お客さまの「ありがとう」「おいしい」という言葉を聞くと、やっぱり毎日の仕事にハリが出ますね。
また、「出前たまご」では、宅配の途中で割れてしまっていた場合は100%保証する、というシステムをとっています。これもお客さまが増える要因になっていると思います。現在は、1000人近くの方に卵を宅配しています。
養鶏場での経験がもたらした成長
私は小さい時から養鶏場の手伝いをしてきました。世話をしたり掃除をしたりしながら、動物を相手にするって大変だなと感じていましたが、経営という視点で見ると、あの頃は分からなかった魅力や課題がたくさんあることに気付きました。今後は、経営者の視点からその課題や魅力をどのようにかたちにしていくか考えていきたいと思います。
直近では、販売経路の改善に取り組んでいます。コロナ前は、首都圏の飲食店などに出荷することが多かったのですが、これからは地元の人にいかに食べてもらえるかを考えたいと思っています。
私が家業を継いだのは、前述のように父の姿に感銘を受けたから、というのもありますが、「養鶏場の子ども」というアイデンティティが私ならではのものだと思ったということもあります。これは、私が社会に出て、いろんな人に出会ったから見出すことができたことです。どんな経験も無駄ではありません。いろいろな経験をしてさまざまなものに触れると、自分にしかないものが見つかるのではないかな、と思います。
(本の情報:国立国会図書館サーチ)
写真提供=志村さん