津波到達点に桜を植え、未来につなぐ

東日本大震災の津波で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市。その陸前高田市のNPO法人「桜ライン311」は、津波が到達した場所に桜を植え、未来の避難の目印にする活動をしています。代表の岡本翔馬さんに、活動を始めたきっかけや、今後の活動への思いを伺いました。

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震災の教訓を次の世代に残す

陸前高田市で高校まで過ごしました。もともと興味があったのはインテリア。中学3年生の時に見た、イタリアの家具メーカーの椅子のデザインを見たことがきっかけでした。宮城の大学に進学し、大学では経営学を学びました。当時は、何に経営学の知識が生きるんだろうかと思っていましたが、NPO法人の代表として、活動の目的を考えたり、組織作りを行ったりする中で、「大学の時に学んだのはこういうことだったんだ」と感じることがあります。

大学卒業後はデザインや建築に関わるいくつかの会社に勤めていたのですが、28歳の時に東日本大震災が起こり、津波で故郷が大きな被害を受けました。当時は東京にいましたが、震災直後に家族の安否を確認するために陸前高田市に入り、そのまま避難所の運営のボランティアとして陸前高田に残っていました。

すると、県外から支援者がたくさんいらっしゃる中で、被災者の方が直接その支援の対応をしていることが気になりました。よりスムーズな支援につなげるためには、支援者と被災者の間に入って、その調整をする人が必要だと考えました。その役割を「地元出身で、県外に出たことがある私がやったほうがいいのではないか」と考えて、一般社団法人の設立に関わり、現地代表になりました。

「桜ライン311」の設立のきっかけは、一本の電話でした。

避難所支援で知り合っていた佐藤一男さんから、「震災の教訓を次の世代に残したいので、手伝ってほしい」と持ち掛けられたのです。当時津波の教訓を残す方法として「石碑」がありましたが、その「石碑」ではないやり方で何かやろうと考えていました。

津波到達地点に桜を植える

設立に向けてほぼ毎日のように議論する中で、考え出したのが、「陸前高田市の津波が到達した地点に桜を植える」ということでした。桜は日本人にとってプラスの感情を持ちやすい木の一つです。そして、散るときのはかなさは、犠牲者の方を追悼することにつながると思いました。

また、石碑は文字情報を残せるというよさはあるものの、一度立ててしまったら関わり続けることが難しいということがありました。その点桜であれば、育てるのは大変なのですが感情が生まれ、震災のことを継承することにつながると考えました。

陸前高田市で津波が到達した地点をたどると、その距離は約170キロメートルあります。そこに10メートルずつ、17000本もの桜を植えることを目指すことにしました。「津波が来たら、桜の木より高く逃げよう」。私たちは震災から7カ月たった2011年10月に任意団体を設立、その翌年5月に法人として設立して、陸前高田で文化を作ることにチャレンジをしました。

桜が今に届ける価値

最初は副代表として関わっていたのですが、2013年7月からは「若い人にやってほしい」というメンバーの思いもあり、代表理事を引き受けることになりました。

桜を植える作業は、まずその土地を持っている方を調べた後の交渉から始まります。津波が到達した地点に桜を植えるということは、土地を持っている方も被災していることが多いということです。避難の目印を残すことは理解をしていただけても、その方の気持ちの整理がつかなければ、震災の痕跡ともいえる桜を植えることはできません。

例えば自宅を流されて、ご家族がなくなった方であれば、桜によって震災を積極的に思い出したくはないわけです。そのためには、地域の方のお気持ちに合わせて桜を植えていくことが大切だと思っています。10年、20年…一生かかってもできない人はいるかもしれません。

当事者は、津波のことは一生忘れないし、思い出すと思います。でも、それだけだと次の世代に残らないということを、被災された方自身が実感することが必要です。そして、そう思うまでには時間がかかりますし、人によってそのタイミングも違うので、その人に合わせて進めるのが大事だと思います。「あの時は植えたいと思っていなかったけど、今は植えたい」という言葉を静かに待っています。

桜を植えるときは、多くのボランティアの方に手伝ってもらっています。地元の子供たちに加えて、市外の中学生や高校生も桜の木を植えるために、陸前高田に来てくれます。植えた桜のことは気になるはずで「桜がどう咲くのか」、「まちがどうなるのか」、「陸前高田の人はどうなるのか」を考えて頂くきっかけにするのは、一つの価値だと考えています。

印象的なエピソードがありました。ご自宅の土地に桜を植えた方から、「自宅を再建するから、植えた桜をいったん抜いて預かってほしい」という電話を頂いたのです。その方は高齢のおばあちゃんだったのですが、「桜の順番を変えないでほしい」ということを話していたのです。聞いてみると、「桜を植えたボランティアの方がわからなくなるから」ということでした。そのおばあちゃんは、ボランティアから「ママ」と呼ばれて慕われていたそうなんです。息子さんを震災で亡くし一人暮らし、「生き残ってよかったと思える瞬間はない。でも気にかけてくれる人がいるから、明日も生きたいと思う。そのきっかけを桜が作ってくれた」と話していました。そういわれた時、頭を殴られたような衝撃を受けました。

もともとは、1000年後の未来に、災害が起こった時に避難の目印を作ろうと取り組みを始めました。それが、現在進行形で関わる人にどんな効果があるか?ということを考えた時に、被災をされた方が明日を生きる力になっていることに気づきました。陸前高田の地域の人と外の人をつなげることで、この地域の人が少し心穏やかに過ごしていただきたいと考えています。

植樹する人、寄付をしていただける人、SNSで活動をシェアしてくれる人…それぞれの化学反応の中で、1人では描けない景色をたくさん見てきました。自分たちだけで完結するのではなく、多数の方が関わったからこそ生まれる価値があるのだと思います。

2022年12月末までに植えた桜の本数は2052本。目標の17000本のうち12%ほどにまでなりました。桜の手入れは「桜ライン311」のスタッフとボランティアの方で行っています。桜の花が散った後、5月のゴールデンウィークの後から9月末ごろまでは、桜の木を1本1本周り、枝の選定や害虫の駆除、草刈りなどを行っています。

復興の定義は1人ひとり違う

「絶対の安全はない」ということを忘れないことが大事だと考えています。過去100年でも、関東大震災や阪神大震災、中越地震など数々の災害がありました。最近は豪雨災害が続いています。災害に対してハード面で防災をすることである程度の安全はあっても、技術は自然の前では役立たないこともあるということを東日本大震災で痛感しました。今後5000年、10000年先の未来を考えていくと、桁違いの災害が起こるかもしれません。いざという時には避難をする、その行動するということを日本全国に伝えていきたいと思います。

震災から10年以上が過ぎましたが、「まだ何も終わっていない」という感覚があります。街が整備されて、生活が戻っているように見えます。ハード面では「復興は終わった」と言えるかもしれません。

しかし、復興の定義は1人ひとり違います。自分を当事者にした場合、一生、復興することはないと思いますし、震災を抱えながら生きていくと思います。例えば、私の幼なじみにも、2歳の娘さんを亡くした友人がいます。その友人にとって、「なぜ命を助けられなかったのか」ということは一生続いていくのです。ハードは復旧しやすい。でも、その人の心、ソフト面の復興は形が見えないこともあり、時間がかかると感じています。桜ラインが、そのお手伝いをできればと考えています。

最初に植えた桜は、もう10メートルほどの高さまで育ちました。今後、20年、30年続けてようやく一つの区切りを迎える活動だと考えています。今後も地域の人々、そして共感してくれる日本全国の皆さんと活動を続けていきたいなと思っています。(取材:2023年3月)

おすすめの本
「さあ、才能(じぶん)に目覚めよう 新版 ストレングス・ファインダー2.0」(トム・ラス)

組織の一員として行動するときに大切なのは、自分がどんな強みや特性を持つかの認識が大切。その強みを知ることができる一冊。

(本の情報:国立国会図書館サーチ)


写真提供=岡本さん

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この記事を書いた人

東京大学教育学部卒業後、全国紙の新聞記者として広島総局・姫路支局に勤務し事件事故、高校野球、教育、選挙など幅広い分野を取材。民間企業を経て、2021年に株式会社オーナーを起業し、本教材「探究百科GATEWAY」を開発し編集長を務める。

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