「未来会議」から生まれる対話がつなぐ、人と人

福島県いわき市で、世代や立場を越えた多様な人々が集り様々なテーマについて語り合う「未来会議」という取り組みがあります。この「対話の場づくり」は東日本大震災の後にはじまり、現在まで10年以上継続してきました。この取り組みを始めた弁護士の菅波香織さんに、なぜ「未来会議」をはじめどのように継続してきたのか、お話を伺いました。

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未来会議の発足

 2011年の東日本大震災のあと、互いの不理解が原因となっている「軋轢(あつれき)」と表現されるような悲しい場面を身近で目にするようになりました。たとえば、津波の被害にあった人と、原発事故によって避難を余儀なくされた人。放射線による健康被害が心配な人と、風評被害を払しょくしたい人。もともとその土地に住んでいる人と、避難してきた人。異なる立場の人同士で相手を批判したり、加害者を作り出したりする風潮を感じていました。

そんな中、2012年10月、いわき市で開催された、あるワークショップに参加しました。2012年6月に可決した「原発事故子ども・被災者支援法」の方針を決めるため、福島の住民にヒアリングをするためのワークショップでした。

「芋煮会」と題されたそのワークショップで従事されていたのは「対話」でした。「誇らしい支援、残念な支援」についてみんなで対話をしました。「おしゃべりの中から、未来を探していきましょう」という言葉で始められたワークショップ。「ワールドカフェ」という形式をとり、①違う意見が出た時でも「それもあるよね」と相手を否定しない ②何でも話す というルールが決められていました。このルールのもとで進められた「対話」では、議論や対立は起こらず、「例えばこんなことをしてみてはどうだろう」という提案が自然と生まれていました。

「このような対話の場が必要だ」。このワークショップに参加をしていたメンバー4人が集まり、「未来会議」が発足しました。いわゆる「廃炉」作業に、短くとも30年から40年はかかると言われていたことから、その間は状況や課題が変化し続けるだろうとの思いと、そのような長期間に向き合っていくには、世代交代も視野に入れる必要があるとの想いで、30年から40年は続けよう!となりました。

重要となるのはファシリテーター

 2013年1月にいわき市で第1回を開催。被災地支援に関わる方、原発事故の影響で避難をされた方、若者やNPO関係の方、子育て中の方…など世代や立場も多様な75人が集まりました。まずは小さくスタートしようと、自分たちの知り合いにお声がけをして開催しました。

「30年後の未来のために私が関わりたいこと」をテーマに開催したこのワークショップでは、まずは参加者が紙にキーワードを書き、似たようなキーワードを書いた仲間を集めてグループになりました。子どもたちのための食の安全・雇用、コミュニティ・つながり、企業、地域のブランディング、子育ての未来、など多様なテーマに対する対話を進めていきました。

2013年2月に開催した第2回、「未来に向かって、自分たちができること」と題した企画にも75名が参加。参加していた高校生からは、未来会議のような場に来る高校生だけではなく多くの高校生を巻き込んで「高校生版の未来会議をやりたい」という声があがりました。一般参加も可能とした第3回には120名もの参加者が集まり、高校生や小中学生も大人に混じって対話に参加し、自分たちでやりたいことのアイデアを出し合い、実際にアイデアを形にするにはどうすればいいかについて考えました。

この「未来会議」という対話の場を作るためには、この会議を進行する「ファシリテーター」の役割が大切です。会を進行し、会の最初にはルールを示します。「本当の想いを口にする」、「否定も断定もしない」、「相手の考えが自分と違っていてもいったん受け止める」。そういったこの場のルールを示し、「ここなら話せる」という安心安全な場を作るのがファシリテーターの役割です。

=発起人の1人、霜村真康さん。いわき市内のお寺で副住職を務めている

第1回から第5回については、最初の「芋煮会」のファシリテーターをされていた方に入って頂き、自分たちは未来会議に参加をしながら、ファシリテーターの役割について学びました。そこからは自分たちがファシリテーターを務めたり、ファシリテーターができる人を育てたりしました。震災当時子供だった若者をゲストに呼んで「あのころとこのごろ」と題した対話を開催したり、浜通り在住の作家さんをゲストに招いたワークショップも開催したりしました。

毎回の会議についてはアーカイブチームが記録をしています。写真はもちろん、参加者が書いたふせんの写真や議論の流れについて絵で描く「グラフィックレコーディング」で記録をしたり、写真を撮影したりして残しています。

考えや感情はどんどん変わっていってしまうため、その時々に感じたことや考えについて表現した言葉を記録することは貴重だと考えます。また、似たような災害が起きた時に、今回のことが何かの参考になるかもしれないと考えています。

対話が「自分ごと」につながる

 常時50~100人の方に来ていただいていた、未来会議。生の人間と人間が出会い、対話を通して聞き合う関係になることの価値を多くの方に感じて頂けたからだと思います。そして未来会議は様々な広がりを見せました。原発の影響で福島から県外に避難した方がいらっしゃる栃木。阪神・淡路大震災を経験した神戸、公害を経験した水俣、そして沖縄にも出張し「未来会議」を重ねてきました。2022年11月までに31回の開催を数え、多くの方に参加を頂きました。

 また、対話の場であった「未来会議」から様々なアイデアが形になっていきました。例えば福島第一原発や第二原発を見学するスタディツアーや飲み物を片手にゆったりした雰囲気の中でゲストのお話を聞く「MIRAI BAR」。また、原発事故による影響を大きく受けた双葉郡でも「双葉郡未来会議」が立ち上がりました。

 未来会議の活動には、これまでも高校生や若い世代が数多く参加してきました。若い方は、大人が真剣に地域の課題について考え、発言しているのをきいて、かっこいい大人がいるのだ!と気づき、大人は、子どもや若者の発言から、自分達では気づけない視点から見える景色を教えてもらうことができます。大人は、偏見や思い込み、刷り込みを持っていることもあるため、自分の正しさを疑う機会としても、多世代で対話することが本当に大事だと痛感してきました。

処理水のことや廃炉のことについてどう感じているか、その感情を共有し、じっくりと話す機会が大事だと考えています。その対話的な場の中から、処理水や廃炉のことが自分ごとになっていく。自分はこれを大切にしているからこう思う、という自分ごとにつながっていくと思います。

10年続けられましたが、30年、40年と続けることが目標なので、まだまだ通過点だと思います。これからもやること、やり続けることがとても大切だと考えています。

おすすめの本
小松理虔「地方を生きる」(筑摩書房)

著者はいわき市在住の地域活動家。新書なので高校生にとっても読みやすい一冊。

(本の情報:国立国会図書館リサーチ)

写真提供=未来会議

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この記事を書いた人

東京大学教育学部卒業後、全国紙の新聞記者として広島総局・姫路支局に勤務し事件事故、高校野球、教育、選挙など幅広い分野を取材。民間企業を経て、2021年に株式会社オーナーを起業し、本教材「探究百科GATEWAY」を開発し編集長を務める。

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