災害医療に関わる医師として、人の命を救う

国際NGOのピースウィンズ・ジャパンで活動する医師の稲葉基高さん。国内外で多数の災害医療に関わってきました。医師でありながら、災害現場で活動する理由について、お話を伺いました。

目次

人と関わる仕事をしたい

 岡山県の山間部にある真庭市の出身です。父親が病院の事務員として働いていたので、病院や医療は子供のころから身近な存在でした。高校は理数科で学んでいて、卒業する時には「人に直接関わって、ありがとうと言ってもらえる仕事をしたい」と考えていました。理数科にいましたがどちらかというと頭は文系寄りで、弁護士になろうとも思いました。ただ最終的には漫画の「ブラック・ジャック」(手塚治虫)が好きで、お医者さんがかっこいいな…と思い国立大の医学部に推薦入試で合格しました。生徒会活動で、色々なイベントを企画したり、校則を変えることを提案してみたり、そういった経験を活かして進学しました。

 そこから「どんなお医者さんになろうか」ということを考えるわけですが、どの科に進むかは迷いました。最初は小児科医になろうと思ったのですが、小児がんなど重い病気にかかった子供を診ることもあり、目の前で亡くなる子供を見ると耐えられませんでした。麻酔科も考えたのですが、患者さんとの対話が少ないところに物足りなさも感じました。それから外科を考え出したのですが、外科は自分の力で病気を治すことができるという点に強い魅力を感じました。そこからはがんの手術を主に担当していました。

命を救うために

 外科医として5年ほど忙しく働いた後、父親が急に倒れたという知らせがありました。父のもとに駆け付けたのですが、何もできませんでした。心筋梗塞による急死でした。62歳でした。医師として何かできることはなかったのか、を自問自答しました。

 そう考えた私は、もっと命を救う現場で働きたいと、救急救命医になることを決意。重症・緊急患者さんを専門に診る病院で、救急救命医として働きました。DMAT(災害派遣医療チーム)の一員にもなり、東日本大震災の時は岩手県に行きました。拠点となっていた内陸にある花巻空港に行きましたが、その先沿岸の被災地へ向かう手段がなく、患者が来るのを待つしかありませんでした。衣食住は不十分で、現地の方におにぎりを握ってもらい、寒さの中毛布にくるまって空港で待つ。助けに来たはずなのに…と情けなく思いながら災害現場での通信・食事・移動手段などを整えることが大事だということを痛感しました。専門用語でいうと、ロジスティックスの大切さを感じました。

2018年4月からは国際NGOのピースウィンズ・ジャパンで活動しています。拠点は広島県の神石高原町というところです。きっかけは知人からNGOで働く医師を探しているので働いてみないか?というお話を受けたことでした。2年くらい考えました。海外に留学して研究するか…とも考えていたところでした。ただ、当時が30歳後半で、40歳を過ぎたらチャレンジが難しそうだと考えていました。

 NGOに転身する時に考えたのは、父が62歳で亡くなったということです。祖父も62歳で亡くなったらしいという話を聞きました。自分ももしかしたら、長生きしないかもしれない。そして「人生、何があるかわからない。自分もいつか死ぬんだ」と実感していました。私も医療の現場で「死」と向き合った経験もありますし、死ぬときにこういうことをやってよかったな、と思えるような生き方をしたいと考えました。

 それならば挑戦してみようと、NGOで働くことにしました。現在はNGOの活動を主に行いながら、地域の救急センターでも働き、また大学院の研究にも携わっています。

ピースウィンズ・ジャパンの活動では、「空飛ぶ捜索医療団”ARROWS”」という活動も行っています。災害があった時は医師やレスキューチームがヘリコプターや飛行機で現地にすぐに迎える体制を整えています。ヘリコプターを使えば、災害時に迅速に現地に行って活動し、命を救うことができます。また現地の活動を支える設備などのロジスティクスについても整えています。また、フィールドホスピタルと言って、テントなどで野外に病院を作ることができる設備を持っており、その設備を組み立てる訓練を何度も重ねています。

空飛ぶ捜索医療団ホームページ

https://arrows.red/

私がNGOで活動を始めた年の7月。平成30年7月豪雨(西日本豪雨)が発災。私たちが向かったのは岡山県倉敷市真備町地区でした。そこにあった病院に患者さんや避難住民の方々が多数取り残されていました。水陸両用車で病院に乗り付けて、ボートやヘリコプターを活用して50名以上の患者さんを救出しました。

その後も真備町地区で活動し、小学校に設けられた救護所やトレーラーハウスで診療にあたっていました。災害医療の意義がある、と感じた瞬間でした。その後は北海道で発生した胆振東部地震、千葉や長野、熊本の水害の現場にも駆け付けました。

世界でも活動

国際的に活動しているNGOなので、海外で活動することもあります。ウクライナへの軍事侵攻に伴い、2022年3月からはウクライナ国内やウクライナ隣国のモルドバで活動しました。医療のニーズを調べようと、まずはポーランドに行ったのですが、どうやらモルドバに避難したウクライナの人に対する支援が必要だということが分かったのです。モルドバは小さな国なので受け入れる余力がなく、また医療システムも整っているとは言えない状況だったからです。

そこでモルドバに避難をした人への治療をしていたのですが、傷を負っていなくても生活習慣病が悪化したり、精神的にストレスを感じていたりする方が大変でした。ウクライナで戦争が続いていて、いつ終わるかわからない。そういうストレスから体調を崩される方もいらっしゃいました。

できることは限られていましたが、「遠い日本から来てくれた」ということでも喜ばれ、感謝されました。海外でも日本の医療従事者のホスピタリティが素晴らしいという評価で、感謝の言葉を頂きました。

ベストを尽くすという覚悟

 今後も災害現場や紛争地域など、医療従事者が少ないところで活動を続けていくと思います。それから、関心があるのは今後の医療のあり方です。日本の医療システムはこのままでいいのか?と感じることがあります。

例えば、地域医療。都会はある程度医療リソースが整っていますが地方には課題があると考えています。病院の数は少なく、医療の設備が限られてしまうし、医師も少ない。その中で医療システムを維持するためには、工夫が必要だと考えています。例えばITと外来の組み合わせで関係性を作りながらオンライン診療を進めていくことも考えられます。

また高齢者の医療についても、平均寿命が長くなって、高齢者医療の財源問題が取りざたされています。ただ、お金のことだけではなくて高齢者の方が本当に望んでいる医療ができているのか?と思うと疑問を感じています。いかに長生きさせるか、という救命のための治療だけをすることが本当に高齢者の方が望んでいることなのか、疑問を持つこともあります。

 また、看護師の役割も今後は大きくなると思います。医師の数は限られますし医師のコストは地域医療にとっては重荷になってきます。例えば海外では「ナースプラクティショナー」と言って、看護師が医師の仕事を行っている地域も多いです。日本でも、研修を修了すれば、特定の行為については医師の指示がなく患者さんへの処置を行うことができるようになっています。(日本では「特定看護師」と言われることもあります)

 人の命に関わる医師は大変な仕事です。経験を積めば対応できることは増えていきますが、時には予測がつかないことが起きます。たとえ全く予測がつかないことが起きても、どんな時でもベストを尽くすという覚悟を持って、これからも患者さんの人生の充実のために働きたいと考えています。

おすすめの本
手塚治虫「ブラック・ジャック」

 発表は1970年代。約50年前の漫画ですが、今の医療の課題にもつながる普遍的なテーマを扱っていると感じます。私も今も読み返しています。何のために医療があるのか?の根本を考えられる一冊です。

(本の情報:国立国会図書館サーチ)

写真提供=ピースウィンズ・ジャパン

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

東京大学教育学部卒業後、全国紙の新聞記者として広島総局・姫路支局に勤務し事件事故、高校野球、教育、選挙など幅広い分野を取材。民間企業を経て、2021年に株式会社オーナーを起業し、本教材「探究百科GATEWAY」を開発し編集長を務める。

目次