「町医者」として地域医療に取り組む医師

 岩手県盛岡市の仙北町地区にある「なないろのとびら診療所」の松嶋大さん。「町医者」として多くの方の診療にあたられています。この診療所があるのは「おちゃのま」というスペースの中。食堂やカフェ、駄菓子屋や書店もあり子どもから高齢者まで多様な人たちが集まる場になっています。なぜ「おちゃのま」を作り、どんな医療を実現したいのか。その思いを伺いました。

目次

地域医療の道へ

 岩手県盛岡市の出身です。親が歯科医をやっていて、親や先生のすすめもあり大学は岩手県内の大学の医学部に進みました。当時は岩手の大学に通っているのであれば卒業後も岩手県内に残って病院に就職するパターンが多かったのですが、「人と違うことをしたい」と考えていた私は、県外の病院や大学の見学に行ってみたのです。そこで栃木県にある自治医科大学に足を運びました。その後、自治医科大学の先生から電話で「ぜひうちに来て地域医療を学びませんか」と言われたこともあり、自治医科大学地域医療学教室に入局。全国から集まった医師と一緒に地域医療について学びました。

 その後、全国各地の病院での勤務を経て2009年に岩手に戻り、岩手県南部にある病院に勤務。そこは地域医療に力を入れている病院でした。とはいえ医師の数が少なく、治療や検査はもう1人の先輩の先生に任せて、私は外来診療と訪問医療に集中。認知症や生活習慣病の方のお話を丁寧に聞きながら「言葉と態度で勝負する」医者を選ばざるを得ませんでした。というのも、私は検査したり治療したりしながら患者さんの病気を治すような医師に憧れを感じていました。いつかはアメリカに行って治療の技術を学び、白衣をなびかせて活躍したい…という思いも持っていました。

 考えが変わったのは、そのもう1人の先輩の先生とゆっくりと語り合った時です。自分が「本当は先生のように治療や検査をやりたいんですよ。だから先生には憧れています」と打ち明けるとその先生が「松嶋君だって立派じゃないか。1時間、2時間も患者さんのお話をきけるのはすごいと思うよ」と言われたのです。この会話は私にとって大きな分岐点になりました。憧れていた先生に、逆に「すごい」と言われたことは、なるほど、多様な見方があるのだと感じたからです。

「町医者」として

 その後は岩手県盛岡市で開業。地域医療の経験を活かして、「目の前の人に最善を尽くす」医療を目指そうと考えました。一方で、以前勤務していた病院時代に、住宅街の中にある介護施設の中で、人や地域とつながらずに死んでいく患者さんを見て、まるで「陸の孤島」で死んでいく患者さんも見てきました。そこで単に医療を提供するだけではなく、「人とつながり続ける場所を作る必要がある」と感じました。

 2017年に盛岡市の仙北町駅の近くに「なないろのとびら診療所」という診療所をはじめました。なないろの「とびら」というところには、診療所を次のステップや暮らしへの窓口にしたいという思いを込めています。

診療所は「おちゃのま」というスペースの中にあります。これは「屋根のついた公園」というコンセプトでオープンしたスペースです。このスペースの中に食堂やカフェがあって、書店があって、診療所や薬局があります。時にはイベントスペースになり、駄菓子屋もオープンします。

ここで「なないろ給食」という取り組みも行っていました。週に3回、どなたも無料で夕ご飯が食べられるという仕組みでした。もともとは母子家庭のお母さんの家事の大変さを聞いたところから取り組みを始めました。週に1回でもご飯を食べて頂いて、子どもとお母さんがおいしいご飯を食べて、家に帰ったら親子の会話を楽しんでいただきたい、差別のない優しい社会を作ろうと、そんな思いで取り組んできました。

診療所では、高齢者向けの診療、認知症診療や訪問診療などを幅広く手掛けています。「総合診療」という診療の仕方を取っており、患者さんのお悩みを伺い、解決できることは私たちが解決し、難しければ専門家におつなぎをしています。

診療をしていると、色々な相談があります。たとえば「眠れなくて困っている」。そういう方を診察して、「半年ぶりに眠れるようになった」と言われることがある。他にも自分のことではないのに相談されることがあるのです。例えば患者さんのお孫さんが不登校で…ということを相談されることもあります。

悩みを抱えた方と、一日も早く出会えるにはどうしたらいいか。そういう人が来やすい仕組みをどうつくるか考えた時に考えたのが、「どこに相談したらいいかわからない外来」です。ちょっとしたことでもいいので相談してください、ということではじめたのですが、自分のことではなくご家族のことだったり、大切な人との死別の悲しみから抜けられないだったりのような相談を受けることがあります。

 悩みを抱えた方と一日も早く出会うためには私たちの活動を広く知ってもらう必要があるので、SNSにも力を入れています。インスタグラム、ツイッター、Tiktok、note…特にもインスタグラムには力を入れていますね。発信する時は、自分のことを「町医者」という名で発信しています。この「町医者」という言葉が合っていると考えています。

目の前の人に最善を尽くす

 「おちゃのま」がある仙北町は私が生まれ育った地域です。この仙北町という地域の中で、今後は「おちゃのま」を拠点として地域の暮らしを面で支える仕組みを作っていきたいと思います。

 例えば高齢者の方は自宅と病院、自宅と介護施設、のように自宅とどこが線で結ばれているだけで、そこには他の誰かが介入することは多くありません。「おちゃのま」があれば、そこにカフェがあったり、給食があったり、そこで色んな人とのつながりができますから、たくさんの線で結ぶことができるのです。「おちゃのま」から、高齢者の方にご飯を届けることだってできる。線が増えれば増えるほどそれは「面」となるのです。地域で暮らすみんながつながり、住民同士支え合える「互助」の仕組みを作っていきたいと考えています。

 また、収益の一部は社会貢献に使っています。地域の小学校への本の寄贈も5~6年続けています。医師であってもビジネスのセンスは必要で、どのように収益を上げて、そこからどうやって社会貢献に回していくのか、その仕組みを突き詰めていきたいと考えています。

 医師としては、その仕組みの中で、病気の予防から診療、看取りまでをカバーしていきたいと考えています。私は外来も在宅医療もどちらもやっていきたいと考えています。外来診療をしていて、診療所に来られなくなったから、家まで診療しにいく。私にとっては外来も在宅医療も、入院も、「目の前の人に最善を尽くす」ための一つの手段です。仙北町の人が、仙北町という地域で生まれてから死ぬまでに安心して暮らしていけることを目指しています。

おすすめの本
ピーター・ドラッカーの本

アメリカの経営学者の本ですが、医師も経営学から学ぶことがたくさんあります。例えばドラッカーは「強みに集中せよ」ということを言っていますが、これは患者さんを診療する時にもその患者さんのいいところを見よう、という姿勢でやっています。
岩崎夏海「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(新潮社)
も読みやすいと思います。

また、人間や生きるということを考えるうえで、
太宰治「人間失格」(文響社)
フランクル「夜と霧」(みすず書房)
夏目漱石「坊っちゃん」(小学館)
もおすすめです。

(本の情報:国立国会図書館サーチ)

写真提供=松嶋さん

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この記事を書いた人

東京大学教育学部卒業後、全国紙の新聞記者として広島総局・姫路支局に勤務し事件事故、高校野球、教育、選挙など幅広い分野を取材。民間企業を経て、2021年に株式会社オーナーを起業し、本教材「探究百科GATEWAY」を開発し編集長を務める。

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