島の魅力を発信しながら、地域医療に取り組む「離島ナース」

鹿児島県にある離島・下甑島で看護師として地域医療に取り組む小林恵さん。国内・海外で様々な経験を積み、現在は離島の医療に関わっています。そこにはどんな背景があったのでしょうか。ぜひそのストーリーをお読みください。

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国際協力から離島での看護へ

埼玉県出身で、鹿児島県の下甑島という離島で看護師をしています。下甑島は鹿児島本土から高速船で約70分の場所にある人口1800人ほどの島です。

私は始めから看護師になりたいと思っていたわけではなくて、大学では英語を学んでいました。高校時代、ユニセフ親善大使だった黒柳徹子さんが発展途上国で出会った子どもたちについて記した「トットちゃんとトットちゃんたち」を読んだことをきっかけに、国際協力に関心を持っていました。しかし、大学時代、学生団体の活動で実際に東ティモールで仕事をつくるという現場に行ったのですが、自分にはスキルがなく「国際協力はそう簡単にはできない」と感じました。

国際協力の仕事は難しいと感じた私は、大学卒業後会社員になり、商社で働き始めました。私は一人旅が好きなのでいろんな場所に行っていたのですが、旅をしている時に、私が知らない土地で一人で生きていくことになったら何もできないな、と感じていました。当時は自己肯定感が低かったのかもしれません。

「手に職をつけたい」という想いで考えたのが「看護師」でした。親友でもある幼なじみがなった職業でもあり、東ティモール滞在中に日本人の看護師とお会いしたことも気になっていました。また、大学時代に考えていた国際協力の道をあきらめきれず、国際看護について学べる大学に入りなおして看護師の資格をとりました。

看護師になったのは、30歳の時。始めの5年間は、大学病院で心臓と脳に関わる病気について学びながら看護師として働きました。心臓と脳は生きていくために大切な臓器なので、最初に学んで良かったと考えています。そして、大学生の時からずっと興味があった国際協力に関わることを叶えるため、日本の医療・看護技術を活かして発展途上国に病院をひらいている病院で勤務を始めました。私もカンボジアに渡って3年間働きました。病気の方を看護するよりも、カンボジアの看護師への教育や事務作業など病院の運営に関わることが多い仕事でした。感染管理や医療物品の整理整頓、ルールづくりなど、自分でも勉強しながら教育を行っていました。カンボジアの看護師の方々の成長を見ながら、「やりきった」という感覚もあり、2021年に日本へ帰ってきました。

日本に帰ってきて何をしようか考えていた時に思い当たったのは、山が好きだから田舎に住みたいという気持ちでした。山が多い長野県に移住しようかな、とも考えました。田舎に行って私は何ができるんだろうという悩みもあり色々と迷っていた時に、偶然にも下甑島の手打診療所が出していた看護師募集の情報を見つけ、これだ!と思って飛び込みました。

下甑島への貢献と新たな挑戦

手打診療所は、島唯一の有床診療所で唯一入院ができる診療所です、小児から高齢者まで幅広い年代を対象としています。診療所の業務は、外来、入院、透析、健診、出張診療、在宅など多岐にわたり、臨床検査技師や放射線技師、薬剤師、リハビリ、といった専門職が不在のため(令和5年現在リハビリスタッフが常勤し、院外薬局もできました)、看護師はあらゆる患者の看護をしながら様々な業務を行う必要があり、そのための知識が求められました。

そこで1年間のプライマリ・ケア看護師研修に参加し、地域医療に関わる色々なことを勉強しました。プライマリ・ケアとは、「総合的な医療」のことで、家族や生活背景、地域も含めて患者さんを多角的に診ることです。

例えば、透析看護、小児看護、緩和ケアなど、今まで未経験な分野はオンラインを上手く使いながら、とにかくなんでもかんでも勉強しました。資格を取ったりセミナーに参加したり、勉強会を開いたりして学び、離島の看護師に求められる技能についてまとめて、論文にして学会で発表もしました。下甑島で生まれ育ったわけではない私がこの島で研修をしながら、これまでの看護の経験を使って島民のためにどんな医療が必要かを考え、長年勤める先輩方と協力しながら実践したことは、私にとっても良い経験となりました。

また、島に暮らしていると、「病院で働いているだけでは地域は元気にならない」と感じることもありました。そもそも、島に人が来ないことには、地域は元気にならないと考えたからです。そこで手打診療所での勤務を辞めて、非常勤で特別養護老人ホームと訪問看護師の仕事をしながら、地域活性のための活動をしています。

まずは何かを発信すれば、来てくれる人もいるだろうと考えて、興味があった養蜂に挑戦しました。ハチミツづくりに詳しい方に教えてもらいながら、自分でハチミツをつくって商品販売をしています。ニホンミツバチのハチミツは国内流通量が全体のハチミツの僅か0.1%と言われていて希少価値が高く、島の大自然から集められた蜜はすごくおいしいですよ。ニホンミツバチは自然環境の豊かなところでしか生きられません。島の自然を守っていくためにも養蜂を通して環境保護の大切さも広めていきたいです。

小林さんが関わる「こしきハニーのぶ工房」のインスタグラム
https://www.instagram.com/koshiki82nobu/

看護師として島の元気を創る

あまり知られていませんが、下甑島は漫画「Dr.コトー診療所」のモデルとなった医師が長年、島民の医療を支え、暮らした島です。この島に来てから、海も山も産物も魅力あるものがたくさんあるのに、あまり多くの人に知られていないというもったいなさを感じていました。アピールすればもっと良くなることがたくさんあると思うのです。島には、都会にはあまりないふるさとの繋がりがあって、いろんな面白い人との出会いもあります。島の暮らしは本当に楽しいです。

現在、下甑島は人口減少も高齢化もどんどん進んでいます。この島を守るために私にできることはたくさんあると思います。例えば、空き家になって使われていない古民家がたくさんあるので、再生して食堂&はちみつカフェをオープンする予定です。他にも、島に来てくれた方の泊まれる場所が少ないのでゲストハウスも作ってみたいと考えています。また、島には耕作放棄地と言って、昔、畑や田んぼだったけれど今は放っておかれている土地がたくさんあります。耕作放棄地は生活環境に様々な悪影響を与える恐れがあります。そこを開拓して農園を始め、無農薬で野菜を育てています。

島のおじいちゃん・おばあちゃんとお話をすることも大切な役目だなと考えています。病院に行くのは大袈裟と考えているようなことも世間話の中なら話せるかもしれませんし、ぜひ気軽に相談してほしいです。人と人とのつながりやその人にとってのやりがいを感じられることが、心と体の健康に繋がっていくと思います。そのような場所を提供し、地域全体を元気にしていく、それが地域にいる看護師としての私の役割だと考えています。

これまでの人生では色々なことを経験してきました。会社員の経験や国際協力を志したこと、カンボジアでの経験…全てが現在につながっていると感じています。

おすすめの本①
「紛争地の看護師」(白川優子)

国境なき医師団で活動される白川さんの様子が生々しく書かれていて、紛争下での医療活動の実態を知ることができます。白川さんは幼い頃になりたいと思った夢を努力されて叶え、紛争下ご自身も恐怖と戦いながら医療活動にあたっていて、大変感銘を受けました。

自分は決してできることではないけれど白川さんの勇気と行動力と人間力、その他あらゆるパワーが感じられる1冊です。ご本人が島に来られ、お話をさせていただきましたが、大変な著名人であるのに大変気さくで島民ともすぐに打ち解けており、その人間性があるからこそどんな状況でも世界で活躍し続けることができるんだと学ぶことがたくさんありました。

(本の情報:国立国会図書館サーチ)

おすすめの本②
「コミュニティナース」(矢田明子)

はじめは「コミュニティナース」という存在を知りませんでしたが、同僚から私が地域でやろうとしていることは「コミュニティナース」なんじゃないかと言われ、この本を読んでみたところ、私と同じような考えで様々な活動を地域でしている看護師が日本中にいることを知り、自分のやろうとしていることは間違ってはいないんだと勇気をいただきました。

(本の情報:国立国会図書館サーチ)

写真提供=小林さん


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この記事を書いた人

東京大学教育学部卒業後、全国紙の新聞記者として広島総局・姫路支局に勤務し事件事故、高校野球、教育、選挙など幅広い分野を取材。民間企業を経て、2021年に株式会社オーナーを起業し、本教材「探究百科GATEWAY」を開発し編集長を務める。

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