「複業」という働き方ができる環境を地方に作る

岩手県宮古市の地域おこし協力隊として、複数の仕事に取り組む「複業」を推進している吉浜知輝さん。自身も3つの仕事を掛け持ちしています。なぜ複業を始めたのか、そして今後どんな展望をもっているのか。23才にして会社設立を目指す吉浜さんのストーリーをぜひお聞きください。

目次

複業の経験を宮古で生かす

私は地域おこし協力隊として「複業の促進」をテーマに活動していますが、そのきっかけは自分自身に複業の経験があり、今後もそういった働き方をしていきたいと思ったからです。そもそも「複業」とは、複数の本業に取り組む働き方。複数の会社や団体から収入を得られることに加えて、自己実現ができる新しい働き方として最近注目されています。

高校時代の私はというと、スポーツ推薦で高校に入学したものの、入学したころは周りと自分の間にモチベーションの差があり、意欲的になれませんでした。かといって勉強を頑張る気力もなく、当時の口癖は「だるい」。そんな姿を見かねた母親から、地元高校生の「やりたい」を応援するNPO法人みやっこベースの活動に参加してみてはどうかと提案されたんです。
(みやっこベース理事長・早川さんの記事はこちら)

そこからみやっこベースの活動に参加するようになり、挑戦する機会を与えられた私はどんどん活動的になっていきました。地元のために何かしたいという気持ちを抱えていたメンバーで高校生団体『SYM』を立ち上げたり、世界的なネットワークがあるNPO法人から活動のサポートを受けたり、短期留学プログラムでアメリカに行ったりと精力的に活動しました。活動を通して海外での生活にも興味を持つようになった私は、サポートしてくれた大人からの後押しもあり、アメリカの高校への編入を決意。担任の先生や友達にはかなり驚かれましたが、1年間アメリカで学生生活を過ごしました。

1年後、そのままアメリカの大学に進学しようと思っていた私でしたが、あるときアメリカの高校の同級生に「大学で何を学びたいの?」と質問されて、すぐに答えることができなかったんです。目的を持たず進学するのは良くないと思い、一旦日本に帰国することにしました。

その年、宮古ではゲストハウスのプロジェクトが動き出していたり、若者がUターンしてきたりと盛り上がりを見せていました。「自分が帰る場所は宮古だ」と思い、お世話になったNPO法人みやっこベースのスタッフとして働き始めました。ところが宮古に帰ってきて気づいたのは、既に社会人として働いていた周りの友人は仕事や生活が思い通りにいっていない人が多いことでした。私自身もキャリアに不安が出てきたこともあり、それならば自分は宮古以外でも働いてみようと、東京での大手会社での有給インターンシップも始めることにしました。その後、個人事業主として東京の会社からもお仕事をもらい、気づいたら宮古と東京の2つの拠点で働いていました。ほとんど休みがない状態でしたが、それでも充実した日々を送っていました。

しかし、2020年に新型コロナウイルスが猛威を振るい始めてからは、宮古と東京という行き来が難しくなりました。どうしようかと悩んでいたタイミングで、宮古市で地域おこし協力隊を募集していることを知りました。「複業」がテーマなら自分にぴったりだと思い、地域おこし協力隊に着任しました。

地域の一員として

現在は3つの仕事をしています。

一つ目は、地域おこし協力隊の業務。宮古市に複業で関わる方を増やすことを目的にした「遠恋複業課」、関係人口を創出することを目的にした「食堂みやこ」、宮古市内での若者コミュニティづくりを目的とした「Meet up! Miyako」の3つのプロジェクトを担当しています。イベントを通して、「将来的に宮古に移住したい」「首都圏から宮古に関わりたい」など自分なりの関わり方を持ってくれる人が増えたと実感しています。

二つ目は、日本酒を造っている地元の酒造店さんのお仕事。社員の方と販売戦略を一緒に考えたり、必要に応じてデザイナーに発注したりと、商品の企画や商品の販売の促進を行っています。として働いています。地元の若者たちの力を集めてパッケージを一新した商品を発売したところ、完売させることができました。

三つ目は、地域の会社のサポート。パンフレットなど制作物による企業ブランディングや、経営者の伴走支援を行っています。私が企業とデザイナーなどのクリエイターの間に入ることで、取り組みの計画からパンフレットなどの制作、販売の支援まで一貫してできていることが強みだと思っています。

これらの地元での仕事を通じて面白いなと思うことは、地元出身者だからこそ受け入れられやすいということです。地域の文化を分かっているからこそ、自由にチャレンジさせてもらっているなと感じています。「もっとやっちゃいなよ」とポジティブに応援してもらえていることも嬉しいですね。

また、地元で暮らし、仕事をするようになって気持ちに変化がありました。高校時代は地元愛がモチベーションの源泉になっていましたが、今は仕事で関わっている方々の幸せそうな顔を近くで見れることがモチベーションの源泉になっています。仕事をする以上、責任も伴いますが今までより一層地域の一員として地に足をつけられている感覚があります。

自分を信じて行動する

私の今後の展望は、宮古で若者たちの雇用をつくっていくことです。宮古市には4年制大学がないため、多くの若者が市外・県外に流出してしまいます。だからこそ、自分自身が宮古で会社を設立し、若者が宮古で働ける、複業できる仕組みをつくりたいです。

皆さんにお伝えしたいのは、待っていても道は開かれないということです。行動しなければ人生は動きません。自分から興味あること、好きなことにどんどん触れてみてください。トライアンドエラーすることによってはじめて道は開かれます。

意志決定の瞬間は「これでいいのかな」という迷いも生じるかもしれません。でも、どちらの道に転んでも間違いではないと思っています。私自身、高校の時に空手の県大会の準決勝でラスト5秒で逆転負けをした経験があります。私の中では人生最大の分け目でした。「もし空手でインターハイに行っていたら別な人生を送っていたのかな」なんて考えたこともありますが、あの時負けてインターハイに行けなかったからこそ、今こうやって充実した生活を送ることができているんだろうと思っています。そうなると「最初からこの道しかなかったのでは?」と思ったりもしますね。

だから、自分はどういう軸で生きていきたいか、どういう状態だと幸せなのか。それを真剣に考え、行動してください。自分を信じて進めば大丈夫です。

おすすめの本

早坂大輔「ぼくにはこれしかなかった。」(木楽舎)

40歳を過ぎて岩手県盛岡市で書店を開いた店主の物語。この本を読んで、自分の選択した生き方を肯定してもらえた気がします。「人生100年時代」と言われていますが、皆さんにとっての「幸せとは?」「豊かさとは?」と自問自答して欲しいです。


写真提供=吉浜さん

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

東日本大震災で被災し、高校・大学時代は「地方創生」「教育」分野の活動に参画。民間企業で東北の地方創生事業に携わったのち、2022年に岩手県宮古市にUターン。NPO職員の傍ら地元タウン誌等ライター活動を行う。これまで首長や起業家、地域のキーパーソン、地域の話題などを幅広く取材。

目次