子どもたちにプログラミングの楽しさを伝えたい

株式会社アイテイプロジェクト 代表取締役の荒木義彦さん。PCN仙台会長、ロボサバ発起人、とうほくプロコン発起人を務めています。子どもたちにプログラミングへ接する機会を提供するさまざまなイベントを企画・実行しています。その取り組みに至るまでのお話しを、プログラミングの出会いからお話しいただきました。

目次

営業からプログラミングへ

1970年代、自分が小学生の時にインベーダーゲームに出会いました。今でこそ家庭用ゲーム機が1家に1台あるのが当たり前ですが、当時は1回遊ぶのに100円かかり、ゲームセンターや喫茶店にしかない据え置き式のゲーム機でした。しかも、1回100円のゲームを小中学生がやる、というハードルはとても高かったんです。

中学生になり、本屋さんで「IO(アイオー)」という雑誌を見つけました。「パソコンでドンキーコング(ゲームのキャラクター)を作れる」という見出しを見つけたんですね・・・「自分で作れば、好きなだけできるじゃないか!」とワクワクしました。でも、うちにはパソコンがなかったんです。親に頼みましたが当時はものすごく高く、もちろん買ってもらえませんでした。

結果、自分がとった行動は、街中に1軒だけMZ-80というパソコンを置いているショールームがあったので、そこでこっそりそのパソコンを使う、ということ(笑)。何度も追い返されながら、最終的にはジュースを出してもらえるまでの関係性になりました。そこで自分のドンキーコングを作ったものの、ちょっとだけ動いたらすぐに止まってしまう、ゲームとはほど遠いものでした。それでも、自分が打ったプログラムで、自分の大好きなドンキーコングが画面の中で動いている衝撃。この衝撃は、ずっと忘れていませんでした。

地元の福島県いわき市の高校から、東京の大学へ進学しました。その後就職し、通信系のベンチャー企業で1年半働きました。その会社で礼儀や仕事の仕方を教え込まれて鍛えられたので、その後どんな仕事をしても辛いと思いませんでした。

当時は営業職で、訪問販売の成績はバリバリのトップ。そのスキルを活かして会社をおこすこともしたのですが、本当にやりたい事ではなかったのか、いまいち上手く行きませんでした。そんな時に前職の大好きだった先輩から「荒木、プログラミングとか好きだったよな」「一緒に仕事しないか」と突然連絡が来たんです。その先輩の家でゲームをしながら「昔、自分でプログラミングをやったことがあって、こういうゲームを自分で作ってみたい」と、話していたことを思い出して連絡をくれたそうです。

仕事を続ける中で、自分が小さい時に興味本位でやっていたプログラミングが仕事になる、と気づいたタイミングがありました。当時はビジネスにできるとは思っていなかったのですが、ふと、とある人に「プログラミングって仕事になるのかな?」と聞いたら、「荒木さん、知らない人・できない人がお金を払うのがビジネスです」という返事をもらい、プログラミングをビジネスにしたのが、37歳です。

プログラマーというと、若い頃から「プログラミング一筋」という方が多く、37歳から始めた自分のような人は珍しいと思います。その分、営業職の経験を生かしていろんな視点から物事を捉えて提案ができる、というのが自分の強みだと思います。

何が起因しているのかわからないけど、常に「自分は今何ができるか」を問いかけて生きている癖があります。自分が一番イキイキしている時、一番楽しくてしょうがないのが、子どもたちと対話する時ですね。疲れるし、稼げないけど、なんか楽しいんですよね。

そして子どもたちには、概念から教えるよりも、手を動かすことを教えていきたい。

自分を教育の現場に呼んでくれた先生から、こんなことを言われたことがあったんです。

「親方(荒木さんの愛称)と出会って、教育者として目から鱗でした。子どもたちが何を言っても否定しない。「面白いな!」「いいね!」って言いますよね。自分が先生になろうと思った時も、そういう思いを持っていたはずなのに、現場に入って忘れていました。」

僕は意識していたわけじゃなく、本当に子どもの発想って面白いんですよね。
「それも正解」「その発想は面白い」「いいよ!それやってみよう!」って言っていると、子どもってどんどん自分で伸びていくんですよね。反対に「こうしなさい」って言うと、指示されるのはつまらないから、気が進まなくなっちゃうんですよね・・・。

自分が持っている引き出しや武器を使って得た知識を、後進に引き継いでいる段階です。

イベントでは自らを「先生」ではなく「親方」と呼んでもらうようにしている。

子どもたちに地域のことを

子どもたちが、自然と地域のことを考えられるようになってほしいです。

大人を含めた多年代の人たちと地域に向き合うことをやった、という経験は非常に強くて、それがあることで、大人になってから「ちょっと困ったな」という時にも、「地元に戻って何かをやる」という選択肢が出てくるんですね。その選択肢があることで、地元から出ていった人たちが、戻ってくる選択肢ができるわけです。

それもあって、昨年からとうほくプロコンというプログラミングコンテストの中に「地域課題解決」のプログラムを組み込みました。

とうほくプロコンとは、子どもたちにモノづくりの楽しさや面白さを気軽に体験してほしいという想いからはじまったプログラミングコンテストです。2019年発足時は「みやぎプロコン」としてスタートし、2022年から対象地域を広げ「とうほくプロコン」として実施しています。子どもたちには、私が子どものころにやったようなゲーム制作や、センサー類を使って身の回りの仕組みを再現する体験をしてもらっています。

行政でも民間でも、「将来の人材を育てるため」という目標があります。そこに向かって、それぞれが自分達で考えた行動をする。そういう小さなブロックが、東北の中でいっぱい動いていく。

その小さなブロックが、ある程度の割合まで増えて、「よし、うちの地域でもやろう」と自ら動き出すような、そんな東北の地になってほしいと思います。そのために自分がやれること・残せることをやっていこうと思っています。自分に残されている年数はわかりませんが、とうほくプロコン・ロボサバ(*)を通して、いろんな人を巻き込んで「地域と子どもたち」の繋がりを作っていきたいです。そして、子どもたちに、いろんな体験・経験を残していきたいです。何度も失敗したけど、ちょっとずつやり方を変えたらクリアできた経験、グループでプログラミング作品を制作する機会もあります。うまくいかない時はちょっと対象から離れてみる、とか、ゲームからでも学べることはたくさんあります。みなさんには、考える前に行動してみてほしいと思います。そうすれば良くも悪くも反応があります。その後のことは、それから考えれば良いと思います。

ロボサバ:正式名称は、ロボット サバイバル プロジェクト。「つくる」「学ぶ」「競う」の3つの体験を軸に、子どもたちのクリエイティブな力を育む総合プロジェクト。

https://robosava.jp/

おすすめの本
「ハゲタカ」をはじめとする真山仁さんの本全般。

真山仁「ハゲタカ」(講談社)

元取材記者という経歴を生かし、キチンとした取材に基づいた内容の小説。小難しくなく、内容も面白い上に、世の中や経済の仕組みを気軽に理解出来る。


写真提供=荒木さん

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

東京都三鷹市生まれ、とはいえ宮城県仙台市での生活が人生で一番長くなった。 好奇心のアンテナが向いた事には自ら飛び込んでいくスタイルで、ジャンルレスの活動を続ける。 朗読ユニット100グラード主宰、荒浜のめぐみキッチン活動メンバー。

目次