デザインの力で、気仙沼の産業を支える

気仙沼市でデザイナーとして活動する、志田淳さん。大学卒業後に地元の気仙沼市にUターンし、現在はデザインの力で、地域の産業を支えています。高校時代に打ち込んでいた音楽がデザイナーとなるきっかけとなったという志田さんに、デザイナーとなるきっかけや今後に向けたと思いをお伺いしました。

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震災を経験して

宮城県気仙沼市で育ちました。高校時代は音楽が好きで、バンドのボーカルをやっていました。高校の同級生と一緒に「東京でバンドをやろう」ということで関東の大学に進学をしました。本気でプロを目指そうとバンドに打ち込んでいました。大学1年生が終わろうとする3月11日、東日本大震災が発生しました。気仙沼市は津波と火災で大きな被害を受け、私が生まれ育った地域も大きな被害を受けました。当時は東京のスタジオにいて揺れを感じ、気仙沼に戻れたのは3月末。建物がなくなったのもそうですが、通学路など、子どものころに見ていた景色がなくなったことに寂しさを感じました。

大学2年生、3年生の時は大学のあった神奈川県と気仙沼を往復しながら、神奈川から気仙沼に無理なく関わる方法はないかな、と考えていました。音楽活動も続けていて、やっていくうちに、グッズやCDが必要になって、そのデザインをパソコンのソフトを使ってやっていました。

もう1つ、大学時代には気仙沼で、古着のフリーマーケットをやってみたこともありました。高校時代に気仙沼に「なんでこんなに若者向けの服がないの?」と感じていたからです。バンド仲間は結構服を持っているので、「何かしたいから」ということで服を提供してもらいました。そのフリーマーケットで自分がデザインしたTシャツを売ってみたら好反応で、大学生の時にアパレル(服)のブランドを立ち上げました。

そうこうしているうちに大学卒業のタイミングになったのですが、みんな社会人になるタイミングだと色々忙しくなり、空中分解するような感じになってしまいました。そこで「実家に戻って考えよう」と思い、仕方なく気仙沼に戻り、アパレルのブランドをやったり、家業を手伝ったりしていました。もちろん、東日本大震災を経験し、気仙沼が被災して、「何もなかったように関東で働くのは、自分に嘘をつくことになる」と感じていたこともありました。

気仙沼に帰ってみると、そこには東日本大震災をきっかけに東京など各地から移住した20代の若者と出会いました。震災のボランティアをきっかけに気仙沼と関わり、移住した若者がいて、その友達がまた移住する…ということが地元で起こっていました。実は高校まで暮らしていた時には、世代を超えて集まることは少なかったし、なんとなく気仙沼という街に閉塞感を感じていました。しかし戻ってみたら、自分と同世代の若者が移住して、移住者をきっかけに交流が生まれている。その移住者の存在が刺激的でした。彼らはNPO法人や一般社団法人を立ち上げ活動していたのですが、イベントのポスター、お店のショップカードなど、少しずつデザインの仕事を頼まれることが増えてきて、そこから自分もグラフィックデザイナーとして本格的な仕事を始めました。

デザインの価値

私は紙に印刷されたもののデザインをすることが多いです。チラシやポスター、パンフレットやラベルなど。地元のクラフトビールのラベルなどのデザインにも力を入れています。デザインの価値は、「情報をどう伝えられるか?」ということだと思います。仕事を依頼したお客さんのことを考えながら、お客さんが届けたい人にしっかりと伝えたいことが届けられるようにしていきます。例えばフォントや文字の太さにもこだわっています。

志田さんが外装をデザインしたクラフトコーラ

ただ、地方ではデザインの価値が浸透していないと感じていますし、まだまだデザインへの理解も高くはないと感じています。例えばとてもおいしい食品にも関わらず、食品のパッケージまで気をつかえていないなど、もったいないな…と感じることもあります。気仙沼は漁業や水産加工業など産業がしっかりとありますので、そこにデザインが関わっていく機会はありますし今後も取り組んでいきたいと考えています。

例えば印象的な取り組みとして、2021年に気仙沼市と取り組んだ「ふるさと納税」の寄付額を増やす取り組みです。ふるさと納税とは応援したい自治体に寄付ができる制度で、寄付のお礼に返礼品をお返しします。その返礼品を紹介するWEB上の広告をデザインしました。「目に留まりやすいように」と工夫し、カツオ、サンマ、など地元の名産品を写真と一緒に紹介する広告を作ったところ、1年前4億円だった寄付金が12億円に増え、12億円のうち5億円が、私がデザインした商品に関わるものでした。私も驚きましたが、見せ方を変えれば情報が届くということを実感した出来事でした。

やりたいことをすべてやってみる

30歳を超えた今、デザインの勉強を仕直しているところです。私はデザインを専門的に勉強したわけではなく独学でやってきました。他のデザイナーさんの中では、美術系の大学やデザイン系の専門学校で学んできた方もいます。私はもともとアートが好きで、音楽CDのジャケットやアーティストのグッズなどが好きで、アートからデザインの道に入りました。経験で何とかなってきた面はありますが、今一度自分のスタイルを作るため、デザインを学んでいきたいです。最短の時間で最高のものを作れるようなスタイルを身に着けたいと考えています。

気仙沼にはデザイナーや写真家など、クリエイターが数人います。その仲間たちと一緒にデザインやアートを柱に集まる場を作れたらいいなと考えています。例えば中学生、高校生が好きに絵を描けたりデザインができたりするスペースがあって、ギャラリーがあって地元のデザイナーの作品が飾ってあって、何かアートの実験場がまちにあるといいのではないかと思います。気仙沼は漁師町ですから、漁師さんの体験ができる機会はあります。アートやデザインについても学べる機会を作っていけるといいと考えています。

他の地域には「シェアアトリエ」という場がありますが、気仙沼にもそういう場を作ることによってクリエイティブの力で気仙沼の産業を下支えできるのではないかと考えています。

みなさんに伝えたいことは3つあります。1つ目は、無理ない範囲で小さいハードルを越えていくことが大事かなと思います。例えば音楽であればライブに行ってみる、ライブの設営のアルバイトをしてみる、など小さな挑戦を順々に続けてみることがよいと考えています。

2つ目は、自分の好きなことを決めて、その世界の選択肢を広く見てみるといいと思います。例えば私は大学までは音楽のバンドで生きていこうと思っていたのですが、今気仙沼ではラジオパーソナリティの仕事をしています。毎週水曜日、2時間の番組を5年間続けてきました。デザインで音楽CDのジャケットに関わることもありますし、音楽に打ち込んだことで、今色々な関わり方ができていると実感をします。

3つ目は、ぜひやりたいことをすべてやってみたらいいと思います。できる・できないを考える必要はありません。大人もできなくてもいいよ、という目で見ています。全力で失敗することも高校生の特権。思いっきりやってみてほしいなと思います。

おすすめの本
兼松佳宏「beの肩書き 『人生の肩書き』はプレゼントしよう」() 

何をするか(do)ではなく、あり方(be)の肩書きを持とう、という一冊。(be)を考えてみるという概念に出会うと、これから先の人生の参考になるかもしれません。よく友人にプレゼントをする一冊です。

写真提供=志田さん

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この記事を書いた人

東京大学教育学部卒業後、全国紙の新聞記者として広島総局・姫路支局に勤務し事件事故、高校野球、教育、選挙など幅広い分野を取材。民間企業を経て、2021年に株式会社オーナーを起業し、本教材「探究百科GATEWAY」を開発し編集長を務める。

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