都市環境の研究―地理学は生きる力を学ぶこと—

国立環境研究所で都市環境の研究をされている一ノ瀬俊明さんにご自身の専門である「地理学」についてお話をお伺いしました。 

目次

奔走した学生時代

――現在の研究にいたるまで、子供の頃のお話からお伺いしていきたいです。 
子供の頃の夢はなんでしたか。 

小学校の卒業論文には天文学者、衆議院議員と書いていました。天体が好きだったので、当時流行していた小説とかアニメなどの作品の影響を受け、人類の生存環境開拓の最前線に私立ちたいという思いを抱いていました。そういう分野に行きたいと、航空宇宙工学などに憧れていました。 

――小学校でスポーツに力を入れている学校だったこともあり、中学では陸上部に入部されたんですね。 

陸上の長距離に段々自信がついてきて、もしかしたらそれで有名になれるかもしれないと。中学で初めて本格的に始めてみたらなかなか目が出ず、中学校の代表にはなれませんでした。 

そしてどんどん成長し、体が大きくなっていって、自分にとっての適性がだんだんわかってきました。監督が短距離の選手だったのでそちらの練習ばかりやっていたら短距離がどんどん速くなり、最終的には中学校のリレーのメンバーに入って、そこで自分の得意なところが見えてきました。走ることに頑張り、ちょっとした挫折もあったけど結局短距離の方で自分の向いているものを見つけられたっていう自信にもなりました。 

だからそれを考えると、学校の授業なんていうのはもう大したことないっていうぐらいでした。

 

――学校では勉強以外にも大事なことを学ぶ場所ですよね。高校でも陸上を続けられたんですか。 

すごい方々が集まって来て、代表になるのはさらに大変だと気がつき、学校まで一番遠いところから通っていたので、時間の使いかたが厳しかったという思いがありました。そうした時には新しい種目を開拓すれば良いと。陸上っていろんな種目があるから、そこで勝てなかったら隣の種目に行けばいいんですよ。

混成競技って、オリンピックだと投げたり飛んだり走ったり、全部やるわけですよね。当時、高校生は5種、苦手なのも入るんですが、合わせ技で総合点で勝つことができました。そして長野県の南部の大会で上から五番目に入って、インターハイの県予選(県大会)と国体予選にも招待されました。 

――そして大学受験。進路はどのように決めたのでしょうか。 

中学三年のまもなく高校に入る春休みぐらいから、その先どうしようかなってことを意識し始めた時に、成績上位のレベルで頑張っていきたいということを考えていました。父親が学校の教員をやっていて、教え子が東大に入学したという話を聞き俺にもできるかななんて思ったんですね。

高校に進学して、それなりの位置にいることが分かったので、このままコツコツやっていこうと思いました。部活が終わって家に帰ってきて、4時間ぐらいは毎日勉強して、土日も部活がありましたが勉強する時間はちゃんと取れました。 

――そして東大合格。専門分野はどのように決めたのでしょうか。 

入学してから専攻を決めていくわけですが、一年半の実績で序列が付いて、それで希望を出すという形だったのですが、とてもじゃないけど天文とか航空宇宙はレベルが高いため、数学と物理で卓越した能力を持ってないとやっていけない世界だっていうことに気が付いて、趣味として楽しむのと学問として取り組むのとは違うのだと実感しました。 

自分は、専攻としては地質とか地理とかそういう方面が向いているだろうということがだんだん分かってきました。 

そして地質に進学しました。今でこそ北海道のあちこちで恐竜が出てきたりしますけど、当時、日本ではほぼどこを掘っても貝殻しか出てこないような雰囲気でした。二年生の時に現地調査実習に連れて行かれて、1週間鍛えられるのですが、そこで挫折感を味わいました。ちょっと思っていたのと違うなっていう。

最近では千葉県市原市田淵の地層が地質年代境界の国際基準地(GSSP)として認められ、今から約77万4千年前~12万9千年前の時代に、「チバニアン」という名称をつけることが決定されるなど、熱いイメージですけど、当時はそれでなんか論文書けって言われたら難しい状況でした。 

――“思っていたのと違う”という方向転換。1年間多くかかって地理学に転学されました。 
この方向転換、一ノ瀬さんの人生ではとても大事でしたね。 

その後を考えると、今考えたら全然そこの一年っていうのはたいしたことないなと思います。その1年で農学部とか工学部とか、いろんな単位も取りまくったので、しっかり勉強したっていう印象はあります。 

一ノ瀬さんが考える”地理学”とは

――修士ではどのような研究をされたのでしょうか。 

かつては大気汚染がひどい時代もありましたが、公害問題の中でも大気汚染は1980年代にまっさきに解決した印象がありました。そこでちょっとその先発展性はないかもしれないなとも思っていました。東京湾を埋め立てて東京の面積を広げようというプロジェクトが話題になっていて、ディベロッパーの人たちが結構熱心にそういう話をしていた時期で、これは面白いなと思いました。

じゃあ、実際にそういう開発によって、空気の質っていうのはどのぐらい変わるだろうという話をやりました。福島の原発事故の後に、放射線を含んだ物質がどう広がるかという図を見たことがある人は多いと思います。あれはスピーディというツールを使って描かれたものですが、それにそっくりな図を描いてました。 

その後林野庁で足尾の大気汚染による森林荒廃地復旧事業を担当中に、世の中の地球環境研究の需要が高まり、母校から戻ってきてほしいとの連絡がありました。 

教えながら博士を取ってみないか、と恩師に言われ、そんなチャンスはもう二度と無いでしょうから、ぜひということでお受けしました。大学から大学院まで地面から上の空気の流れなど、気象学的なことをやっていたので、地球温暖化防止に繋がるような話といえばヒートアイランド現象、そして地理情報というものにスポットが当たってきた時代でした。

商用ツールを買うと高かったので、シンクタンクの人と一緒にゼロから作りました。東京の中でエネルギーがどうやって使われ、その結果熱の動きがどう人為的に変えられているのかを明らかにし最適な東京のエネルギーシステムを設計しようという考えで博士論文のテーマを決めました。 

一つはヒートアイランド現象について気象学の人たちがやるような計算をやり、もう一つは地理情報システム、つまりコンピューターの中に地図を取り込んで、そこでいろいろな計算をやって答えを出すものを作りました。 

特に私が注目したのは、家庭とかオフィスで、日々エネルギーが使われて熱が出ますが、その一部はキッチンやお風呂に使われた後、温水として下水に流れ込んでいきます。そういったものを上手にもう一回熱を取り出して使えないかっていうアイディアですね。まちづくりにおけるインフラ、そういうエネルギーインフラへの提言という形で一つの答えを出すということをやりました。そういうものを博士論文の中でやりました。

2010年8月にフランスのエコール・サントラル(École Centrale)より、 
博士論文審査委員長としてご招聘いただいた際の写真

――気象から計算、そして地理学と幅広い知識が必要とされていますね。 

そういった総力戦が、地理学の強みじゃないかと僕は思っています。例えば、特定のスキルだけで勝負したら、ほかの分野には勝てないところがあるわけです。物理の人に勝てないし、数学の人にも勝てない、彼らに勝つとしたら、もうそういう総合力しかないと思います。 

――ちょっと陸上の話につながるものがありますね。 

合わせ技一本でいいんですよ。最近の高校生と話していると、入試も国公立、あるいは東大ってあたりでは全部できないと通りませんが、一部の有名私学の難しい入試って、数学だけできればいいとか英語だけできればいいとかっていうケースがあるわけですよね。それって陸上の混成競技の選手と100mのエキスパートが競争したらどっちが勝つか?みたいな話に似てるんじゃないですか。僕は100mで金メダル取ろうなんて考えないので、合わせ技一本でいいんじゃないのって思ったんです。それぞれ皆さん、能力を発揮するいろんな方法があるから、自分に合ったところで、得意技で勝負できればいいんじゃないかと思うんです。 


”得意”や”好き”を仕事に

ご両親の世代とか、ぼくたちの世代が経験してきた話というのは、おそらくこれからの皆さんには直接は参考にならない話が増えていくと思います。しかし、今の時代の方が当時に比べたら有利っていう部分もあると思っています。僕らの世代は、160万人から200万人くらいが日本で生まれ育ちそこで競争していました。

これからの皆さんはその半分くらいの集団での競争なので、なりたい自分になるという意味ではライバルは少ない。一方その競争で求められる内容がより高度になってきているのも事実です。受験や就職活動など、これからみなさんが立ち向かっていく競争では、自分の得意なものに気付き、そこで勝負をかけるのが良いでしょう。

しかし勝負をかけるものを十代の半ばで見つけるのは結構大変なことだと思います。後で変えてもいいので、とりあえずその段階でまず一つ気づいて、それを武器にして強みにして勝負をかけてほしいなあと思います。私は自分の子供たちにはそう言い方をすると思います。実際には子供たち自身が見つけてくれたので言わなくて済みましたが、そう伝えるべきなのかなと思います。 

あと、我々の世代って学校に行ったら国語、算数、理科、社会、全部やらなかったら勝負にならなかった時代でしたが、今は全部できなくてもこれとこれ得意ですと言ったら、それで多分、大学、大学院まで行くことができる時代になっています。それは今の世の中の良い点と捉え、とことん自分の得意や好きをのばしていただいてほしいです。

Youtubeなどを観ていると、好きを仕事にすると不幸になるみたいなこと言っている人もいますが、僕は学生時代に方向転換して遠回りしたのは、最後までとことん好きを仕事にしたかったからなんですよ。それだから今があるというか、今にこう仕事を繋げてきていて、その時にその思いに忠実でなかったとしたら、多分いろんなものが中途半端で終わったんじゃないかな。

是非好きを見つけたら、とことんそれにこだわって自分を伸ばしてください。 

2023年7月に国立環境研究所のオープンハウス(夏の大公開)として
小学校高学年をターゲットとした体験実習を行った際の写真。

著者「旅のアジア語」(佐川 年秀

50か国語以上が収録してあり、一ヶ国語数ページぐらいの分量で大事なことだけ全部書いてあります。それがわかってくると、なんて言っているか分からなくてもある程度想像できる位の基本情報が全部詰まっています。私も一人で海外に行ってミッションをこなすということがありますので、ある程度自分で何とかするため、一つのファシリティとして、こういう本を読んで知識をアップデートしていくということをやっています。 

【プロフィール】

一ノ瀬 俊明さん

国立研究開発法人国立環境研究所上級主幹研究員 2008.7~2024.3(インタビュー記事掲載時点)

つくば科学教育マイスター第6号認定

工学博士。東京大学助手などを経て2008年より現職。1998年度にフライブルク大学客員研究員として在独。

2008年より名古屋大学大学院環境学研究科教授(連携大学院)。平成8年度土木学会論文奨励賞。平成26年度環境科学会論文賞。平成28年度環境科学会学術賞。

FM84.2ラヂオつくばにて毎週月曜22時~22時30分放送中様々な研究所の博士や専門家たちにお話を聞いています。

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scienceexpress@gmail.com

写真提供=一ノ瀬さん


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この記事を書いた人

総合科学研究機構総合科学研究員
サイエンス・エクスプレスMC サイエンスコミュニケーター
気象予報士の資格を持ち、お天気の実験教室などを開催。第11、12回気象文化大賞を受賞。

実験の楽しさや自然の素晴らしさ、災害の恐ろしさ、人類や科学のすごさをみなさんと共有していきたいです。この世界はたくさんの知識に溢れている。学ぶってワクワク。一緒に科学を楽しみましょう!

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