医薬基盤・健康・栄養研究所 霊長類医科学研究センター(以下霊長類センター)にてカニクイザルに関連する研究をされている下澤律浩さん。
どうしてカニクイザルの研究をされているのか、わたしたちの生活にどう役に立っている研究なのか、お話を伺いました。
霊長類センターの役割とは
霊長類医科学研究センターは、カニクイザルを中心に実験用サルの大規模繁殖コロニーを有し、質の高いサルの供給とこれを活用した医科学研究を行っている国内唯一の施設です。実験用サル類の品質管理、供給、研究リソース開発、基盤技術開発に加え、サル類を用いた先端医療技術や新薬の有効性、安全性評価などを行っています。
霊長類センターはもともと、国立感染症研究所の支所でした。新型コロナウイルスの件でかなり有名になった研究所かと思いますが、2005年に感染症研究所から分離し、厚生労働省が管轄する他の研究機関等と合流して、医薬基盤研究所となり、そして現在の医薬基盤・健康・栄養研究所になりました。
ーコロナ禍ではコロナウイルスに関する研究もされていたのでしょうか。
自分は直接コロナウイルスに関する研究に携わることはなかったですが、その研究に使われるカニクイザルを繁殖して、研究用に供給するといったところが霊長類センターの役割です。私の役割としては繁殖に関わるところが主になってきますので直接ではありませんが、間接的には非常に密に関わっています。その繁殖の現場には非常に多くの人達が飼育管理業務を行っており、そのような人達はコロナウイルスに感染しないように注意していました。我々の施設では、コロナウイルスだけでなく、インフルエンザウイルス、エイズウイルス、結核菌などさまざまな感染症の研究も行われています。
ー下澤さんはどんな研究をされているのですか。
現在の私の研究ということでは、カニクイザルの人工繁殖技術の確立、モデル動物の確立といったようなことを主に進めており、一言でまとめるとカニクイザル生物資源の整備ということがテーマになります。
(左図.カニクイザル)
カニクイザルの研究をする理由
ーなぜニホンザルではなく、カニクイザルなのですか。
まず、ヒトに非常に近い動物であることからです。分類的にはヒトは霊長類になりますが、この霊長類にはサル類、つまりカニクイザルやニホンザルも含まれます。そして、この両者は系統的に近い関係にあり、マカカ属に属します。しかしながら、その特徴にはかなり違っているところがあります。一番大きいところでは、ニホンザルは季節性繁殖であり、一年間の限られた季節、秋から冬にかけての間にしか繁殖をしません。一方、カニクイザルはそれとは異なり、通年繁殖であり、常に繁殖活動が行われます。このような特徴は実験動物として考えたときに、個体を増やすという点で大きな利点となります。また体格は、成体の雄で比べたとき、カニクイザルは4〜7kgで、ニホンザルは10kgを超え、2倍以上の差もありまして、カニクイザルは小型であるということから研究に利用しやすいという面もあります。
ー霊長類センターにはカニクイザルが何匹くらいいるのでしょうか。
繁殖をしていることから、産まれたばかりの赤ちゃんから高齢のサルまでおよそ1800頭を飼育しています。そして、年間およそ200頭近い子ザルが生まれています。妊娠期間はおよそ5.5ヶ月でヒトの10ヶ月よりは短くなります。
ーみんなカニを食べるのでしょうか。
原産国である東南アジアで、カニを捕まえて食べていたことから、このような名前が付いたようです。カニクイザルという和名ですが、英語ではcrab-eating monkeyとも言います。手を地面に入れて捕まえていたそうです。霊長類センターでは、リンゴと固型飼料を食べています。
ー「人工繁殖技術」とは何でしょうか。
人工繁殖技術とは、人の手を加えてカニクイザルの子供を産ませるということになりまして、人工授精、体外受精、受精卵移植などいくつかの人の手を使って行う技術の総称となります。霊長類センターでは、カニクイザルを繁殖させていますが、人の手を加えることで、なかなか妊娠しない個体を妊娠させて、子を産ませ、個体を延々と継代させていくことを簡便にできないかということを検討している。ヒトで行われている不妊治療のカニクイザル版といったことになります。
ーカニクイザルたちの研究が人間の不妊治療などにもつながっていくのでしょうか。
実はこの不妊治療というものは人の方が進んでいます。私はその不妊治療で使われている培養液やホルモン製剤を利用していますし、ヒトの不妊治療の技術を大いに参考にしている状況にあります。
ー他にはどのような目的がありますか。
モデル動物を整備することもおこなっています。モデル動物とは、例えばヒトの病気と同じ症状を示す動物のことで、その病気に特化した研究に利用されます。あるいは似たような病気を持つ個体を見つけ、その子孫も作るということもありますし、何らかの特殊な処置を施すことで、ある疾患を人為的に誘導して、モデル動物を作るということもあります。私のテーマとしてはどちらかというと前者になります。
病気を持つ個体が見つかった場合、その個体をすぐに研究に使用するということはほとんどしません。複数の病気の個体を確保して、それを病気のモデル動物として研究に利用することになります。特に遺伝性の病気のモデル動物を見つけた場合、その両親は変異した遺伝子を持っていますが、基本的に病気を発症していません。両親が持つ一つの変異した遺伝子の二つが子供に遺伝することで病気が発症することになります。そして、遺伝性の病気を発症した個体の家系を辿ることで、その変異遺伝子を持っているであろう父や母の兄弟やそれらの両親、さらに先祖といった個体を把握することができます。
ーすべて個体ごとにデータ管理されているのですね。
これらの個体間で交配して、産まれてくる新しい個体が病気を発症する可能性があります。このように病気を見つけ、そして病気を発症する子供を作る体制を整える、強化するということがモデル動物の整備ということになります。さらに、これは人工繁殖技術と密接な関係があり、病気を持つような個体では子供ができない、あるいは出来にくいということがしばしばあります。また、病気の原因となる一つの変異した遺伝子を持っている個体同士の間で子を作るお手伝いをしてあげて、子孫をつないでいくことも重要になってきます。子孫ができなくなってしまうと、ある病気のモデル動物が途絶えてしまい、結果的にそのモデル動物を使った、病気の治療法を開発するといった研究が出来なくなってしまいます。人工繁殖技術を今以上に確立し、そして、それを利用したモデル動物の維持は重要な研究テーマの一つであると思っています。
ー遺伝性の病気を引き継ぐかどうか、どんどん増やしすぎても管理が難しそうですね。
そうですね、確かに管理が大変ですが、私どもの施設では1頭1頭の先祖、子孫、兄弟が全てコンピューター上のデータとして判るように管理されています。どのような組み合わせをすると病気になる、ならないといったことがあらかじめ予想できます。さらに、その病気が遺伝性で、原因遺伝子が特定されていれば、遺伝性の病気を持つ個体を容易に特定することができます。ただ、その病気の原因遺伝子を調べることは非常に難しく、当施設では遺伝性の病気が3つほど見つかっているのですが、そのうちの1つでしか、原因遺伝子が特定されていません。
そして、病気のモデル動物という響きは生きている個々の個体をイメージするかと思いますが、その一部というか動物を利用することの代替となりえる疾患特異的細胞を整備するということも進めています。皆さんもよく聞くかと思いますが、それがiPS細胞になります。
iPS細胞とは、細胞を培養して人工的に作られた多能性の幹細胞のことです。2006年8月に京都大学の山中伸弥教授らは世界で初めてiPS細胞の作製に成功し、2012年にノーベル医学・生理学賞を受賞しました。山中教授らは、皮膚などに分化した細胞にある遺伝子を組み込むことで、あらゆる生体組織に成長できる万能な細胞を作ることに成功したのです。
これは、成熟した細胞を、多能性を持つ状態に初期化する、つまり細胞の時間を巻き戻すような画期的な発見であり、今後の再生医療や創薬研究に役立つことが期待されています。
遺伝性の病気をもったカニクイザルの研究利用は容易ではなく、特に数を確保するのは大変です。両親が原因遺伝子を持っていたとしても、それらが両親から子に伝達するとは限りません。そこで、すでに病気を発症している個体の細胞からiPS細胞を作成すれば、細胞を使った基礎的な研究に利用することができます。私はそのようなiPS細胞を作製するとともにその特徴を調べ、他のiPS細胞やES細胞と違わない性質を持っているかを調べています。
農学部での経験が今に生きる
子供の頃の夢は、良くは覚えていませんが、野球選手だったかと思います。少年野球チームに入っていたこともありますが、中高ではバスケットボール部でした。元々生物系の大学に進学したいということがあったのですが、その中でも遺伝関連と思って探していたところ、遺伝育種という言葉が目にとまり、農学部農学科に入学しました。
入学後、いろいろな研究室があるわけですが、核移植という技術を使って、核と細胞質の相互作用を調べるといった文言が目に入り、「核移植」の研究を始めました。核移植というのはクローン動物を作出する際に必要になる技術で、簡単に言うと卵子の中に別の核を持った細胞を入れるということです。この核移植は、顕微鏡に備え付けたマイクロマニュピレーターに装着したガラス製の微細なマイクロピペットを駆使して行う。この技術は顕微授精にも似たものであり、類似の装置を使用します。現在、顕微授精をカニクイザルでも行っていますが、核移植の経験があったからこそ、それを容易に研究に取り入れることができました。
好きなことを見つけてみよう
中高では、好き嫌いはあると思いますが、一通り一生懸命勉強し、その中で教科や運動でもいいですが、好きなことを見つければ良いかと思います。高校では、文系と理系のどちらを選択するかということになるかと思いますが、自分は理系で特に科学の勉強に力を入れていました。理系ではありましたが、結構歴史、世界史も日本史も得意でした。大学の入学後にもいろいろな選択肢がありますので、いろいろとアンテナを広げて、自分の進みたい道を見つけることがよいと思います。
【Profile】
国立研究開発法人医薬基盤・健康・栄養研究所 霊長類医科学研究センター
下澤 律浩 さん
東京農業大学大学院農学研究科博士前期課程修了
財団法人実験動物中央研究所
国立感染症研究所 筑波医学実験用霊長類センター
独立行政法人医薬基盤研究所 霊長類医科学研究センター を経て、現所属
FM84.2ラヂオつくばにて毎週月曜22時~22時30分放送中様々な研究所の博士や専門家たちにお話を聞いています。
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写真提供=下澤さん