探究テーマ「インクルーシブ」
「インクルーシブ」は「全てを含む」「包摂的」といった意味をもつ。近年、教育や保育の現場でこの言葉が注目されている。インクルーシブ教育とは、障害者と健常者がともに学ぶ教育のことである。
教育現場では、共生社会の形成に向けて、インクルーシブ教育システムの構築が望まれている。「共生社会」とは、これまで必ずしも十分に社会参加できるような環境になかった障害者等が、積極的に参加・貢献していくことができる社会である。このような全員参加型の社会を目指すことは、我が国において積極的に取り組むべき重要な課題である。学校教育には、「共生社会」の形成に向けて、重要な役割を果たすことが求められている。
保育に関しては、令和5年4月1日から、児童福祉施設の設備及び運営に関する基準等の一部を改正する省令が施行された。これまでは、例えば、保育所に児童発達支援事業所が併設されていても、保育所を利用する子どもと児童発達支援事業所を利用する障害児をと一緒の保育室で保育することは、認められていなかった。
今後は保育所に他の社会福祉施設との併設を行う際に、特有の設備・専従の人員についても共用・兼務できることとなった。
参考)文部科学省1.共生社会の形成に向けて
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1325884.htm
参考)厚生労働省 子ども家庭局
保育課厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部障害福祉課 保育所等におけるインクルーシブ保育に関する留意事項等について
https://www.pref.aichi.jp/uploaded/attachment/443408.pdf
特別支援教育
日本は、義務教育段階で、特別支援学校に在籍している児童生徒は約65,000人で全体の0.6%程度、特別支援学級に在籍している児童生徒は約155,000人で全体の1.5%程度、通級による指導を受けている児童生徒は約65,000人で全体の0.6%程度となっている。また、小・中学校には、就学基準に該当する児童生徒が、特別支援学級で約17,000人、通常の学級で約3,000人在籍している。さらに、通常の学級には、LD、ADHD、高機能自閉症等の発達障害の可能性のある児童生徒が6.3%程度在籍していると考えられる。
特別な指導を受けている児童生徒の割合を他国と比べてみると、英国が約20%(障害以外の学習困難を含む)、米国は約10%となっており、これに対して、日本は、特別支援学校、特別支援学級、通級による指導を受けている児童生徒を合わせても約3%に過ぎない。これは、特別な教育支援を必要とする児童生徒の多くは通常の学級で学んでおり、これらの児童生徒への対応が早急に求められていると考える。しかし、日本の義務教育段階での就学率は極めて高く、障害を理由として就学免除・猶予を受けている者がほとんどいない点について高く評価すべきである。
参考)文部科学省1.共生社会の形成に向けて
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1325884.htm
障害者の権利(2006年〜平成)
障害者の権利に関する条約が、平成18年に国連総会で採択され、平成20年に発効した。日本はこの条約に平成19年9月に署名した。平成21年には、「障がい者制度改革推進本部」が設置され、当面5年間を障害者制度改革の集中期間と位置付け、改革の推進に関する総合調整、改革推進の基本的な方針案の作成及び推進に関する検討等を行うこととされていた。障害者施策の推進に関する事項について意見を求めるために「障がい者制度改革推進会議」が設置され、平成22年、同会議による第一次意見が取りまとめられた。
インクルーシブ教育について、
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2010年の文部科学省の考え 「交流及び共同学習」では「インクルーシブ教育」は実現できない
障害者権利条約批准・インクルーシブ教育推進ネットワークが2010年に述べた考えをみてみましょう。
「交流及び共同学習」は2004年の障害者基本法の一部改正において、生まれた言葉である。初めは、普通学級に在籍している障害をもつ子の存在が認められ、どの子も分け隔てられることなく共に学び育つためのものとして「共同学習」が提起された。決議では、「分け隔てられることなく共に」という文言が残された。つまり、「交流学習」と「共同学習」は、「分離した上でいっしょにおこなう学習」と「統合した上でおこなう学習」として、本来、別の意味を持つものであった。しかし、文科省は、障害者基本法の一部改正以降、「交流及び共同学習」として、一つの言葉として使うようになり、現在に至っている。
ここで、文科省の「交流及び共同学習ガイド」をみてみましょう。
障害のある子どもと障害のない子どもが一緒に参加する活動は、相互のふれ合いを通じて豊かな人間性をはぐくむことを目的とする交流の側面と、教科等の狙いの達成を目的とする共同学習の側面があるものと考えられます。「交流及び共同学習」とは、このように両面の側面は一体としてあることを明確に表したものです。また、この二つの側面は分かちがたいものと捉え、推進していく必要があります。
活動場所がどこであっても、在籍校の授業として位置付けられていることに十分留意し、教育課程の位置付け、指導の目標などを明確にし、適切な評価を行うことが必要です。
と解説されています。これに関して、障害者権利条約批准・インクルーシブ教育推進ネットワークは次のように述べています。
「分け隔てられることなく共に」として出された「共同学習」は、それまでもおこなわれていた教科における交流の意味に変質させられてしまい、分けた上でのそれぞれの教育課程における教科学習として位置づけられるようになったのである。つまり、「交流及び共同学習」は以前の「交流学習」となんら違いがない。そればかりか、新学習指導要領では、「教科の目的達成」までもが問われ、交流も「できる・できない」の評価のもとで行われるようになり、「できない」ことで更に巧みに分けられはじめているのである。
これは、以下の資料の抜粋(一部改変)です。文部科学省の行ってきたことや、特別支援学校の教員・保護者のアンケートなどもあるので、みてみましょう。
参考)文部科学省 「交流及び共同学習」では「インクルーシブ教育」は実現できないhttps://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/044/attach/1298938.htm
探究テーマ「教育格差」
あなたは、「教育」に「格差」を感じたことはあるだろうか。小学校のとき「隣のクラスがよかったな」、中学校のとき「あの子みたいに海外に行ってみたいな」、高校で「あの大学に行きたいけど、学費が高いな」、と思ったことはないだろうか。そもそも、「もっと都会に生まれたかった」などと、生まれた環境に劣等感を感じたこともあるかもしれない。
日本では、その能力に応じて等しく教育が受けられる。その点では平等で、格差などないのかもしれない。他人と比べなければ、格差に気づくことはないだろう。しかし、格差はわかりにくい形で存在する。
例えば、生まれた場所について考えてみよう。あなたの地元(あるいは今住んでいるところ)は「都会」「田舎」「その間」のどれだろうか。ひとまず分類してみよう。そして、自分の地元が他の2つと比べて優れているところと、反対に他の2つの地域がうらやましいと感じるところを挙げてみよう。そして、それらが教育とどのように結びついているのか、考えてみよう。
例えば山間部に住んでいる人は、自分が住んでいる場所に「塾がない」と感じているかもしれない。また都市部に住んでいる人は、自分の住む街に自然に親しめる環境がないことが気になるかもしれない。
あなたが自分の置かれている教育環境に「格差」を感じているなら、それは探究への素晴らしいテーマになる。自分の環境とそして自分と向き合うことは重く、苦しいかもしれない。無理に「格差」と向き合う必要はない。
もしあなたが「教育格差」を探究するなら、自分と周囲の人への最大限の配慮を持って、じっくり丁寧に向き合ってほしい。きっと、深く、鋭い探究となるだろう。
また、自分の感じる「教育格差」は本当に「教育」の格差だろうか。教育以外の可能性も考えてみよう。例えば、「経済格差」「地域格差」「年代格差」などが考えられるだろう。
少し視野を広げて考えて、日本にいる外国にルーツを持つ人々(あなたがそうである場合は考えやすいだろう)が感じる教育の壁はなんだろうか。その結果として、教育格差は生じていないだろうか。
格差がなくなるということは、全てが「均一」になるということでもある。平等であればそれでいいのだろうか。さまざまな教育を受ける人がいるからこそ、多様な社会が形づくられるのではないだろうか。改善すべき格差以外に、尊重すべき差はあるだろうか。
どこまでが「教育」格差か
教育格差の中には、経済面の支援があれば解決するものもある。あなたが感じている教育格差の中に、経済格差や地域格差が関係しているものはないだろうか。また、もし、経済格差や地域格差が解消されたら、その教育格差は解決するだろうか。周囲の人々の思い込みや、自分の意識・心理との関係は何かあるだろうか。
相対的貧困
バブル経済崩壊後の経済の低迷から穏やかに回復する中で、戦後最長となる景気拡大を果たしました。この「実感なき景気回復」とも言われる中で、以前に比べて所得の格差が拡大していているのではないかとの指摘がなされてきました。相対的貧困率について、17歳以下の子どもに着目すると、他の国は所得再分配によって相対的貧困率は低下しているなか、日本だけは、再分配後に相対的貧困率が上昇している。
学力格差
学習塾に通っている児童・生徒は、通っていない児童・生徒よりも学力が高い傾向がある。この傾向は、特に中学校の数学において顕著に見られる。しかし、教員一人あたりの生徒数が少なく、教師の平均年齢が高い(つまり経験豊富な教師が多い)中学校では、通塾にともなう数学の学力差が小さくなる。つまり、学習塾に通っていない生徒の学力を保証するためには、教員を増員するとともに、ベテラン層の教員を厚く配置する、あるいは若手教員の技能形成の機会を充実させることが効果的である。
参考)平成21年度文部科学白書
https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpab200901/1295628_004.pdf
参考)文部科学省 学力格差にどう立ち向かうか
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/sonota/08013006/003/014.htm
例えば福島県では近年、肥満児の割合が5~17歳の全ての年齢で全国平均を上回っている。福島県では2011年の原発事故前から子どもの肥満率が全国平均よりも高かったが、事故後は一段と悪化し、2012年度では5〜9歳などが全国ワースト1位になった。これは屋外活動が制限されたことによる影響という指摘がされている。
世界の若者の格差
また、世界の10代の若者の格差を考えてみよう。あなたと同じ年齢の人で、高校に通いたくても通うことができていない人もいる。そもそも一度も学校に通うことができていない人もいる。
K字経済
富裕層と貧困層の経済格差など経済の二極化が進む状態のことをいう。所得階層別に収入や貯蓄の増減などをグラフ化すると、上下に開くK字を描くことから名付けられた。新型コロナウイルス禍が長期化するなか、低賃金労働者ほど雇用環境が悪化し、株高の恩恵を受ける富裕層に富が集中する現象が世界的に広がっている。格差が広まっている状態があ流ことは、教育にどのような影響を及ぼすだろうか。
参考)K字経済 きょうのことばセレクション
https://www.nikkei4946.com/knowledgebank/selection/detail.aspx?value=1830
教育ボランティア
家庭や地域の教育力の低下や子どもたちを取り巻く教育環境の悪化が指摘されている。地域社会が学校とともに、子どもの健やかな成長を支援する取り組みが進められている。例えば、地域コーディネーターは、学校支援ボランティアが実際に活動する際に、学校とボランティア、あるいはボランティア同士が、円滑に連携、協力できるよう連絡調整などを行う役割を担う。地域コーディネーターには、特に子どもたちや学校の状況、ニーズを把握していることや地域の情報に通じていることが求められる。
参考)とちぎ学校支援活動運営協議会 栃木県教育委員会 地域と学校を結ぶ! 〜学校支援ボランティア活動の充実のために〜https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2010/09/15/1296704_01.pdf
他の世代の直面する(している)格差
さらに、世代を広げて考えてみよう。大学進学率は、上昇している。高校も、ほとんどの人が卒業している。「夜間学級」や「識字学級」を知っているだろうか。学び直し、特に義務教育の過程での学びを保障するための学びの場だ。「夕やけがうつくしい」という作文は、教育の保障に関して、考えるヒントを与えてくれるかもしれない。上の年代だけではない。今の子どもたち、そして今後生まれてくる子どもたちのために、教育ができることはなんだろう。
「子ども・教育」の探究に役立つWEBサイト
文部科学省 学校教育に関する統計調査
生徒、教員、外国籍の子ども、インターンシップ…「子ども・教育」にまつわる様々な統計調査が公開されています。rhttps://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/main_b8.htm
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