森林コラム③みんなを悩ます花粉症

どうも、第3回を迎えました。森林に関してのコラムです。前回前々回はこちらからご覧ください。

今回はなぜ日本には杉林が多いの?ということに触れていきます。産業や戦争の歴史にも深く関わっている森林の不思議についてご紹介していきます。

目次

【日本から森林が消えた日】

日本は今こそ緑深い山々に囲まれていますが、実は昔に一度多くの森林が消えていた時代がありました。

それは、第二次世界大戦の時です。戦争を行う為には、戦艦や戦車を作る必要があり、その為には多くの燃料が必要となります。燃料に現在では石炭や石油を用いますが、その当時は違います。

アメリカからの石油輸入停止措置や、急激に膨れ上がった軍需に間に合わせるために、国内の森林を用いた炭材が利用されたのです。その結果、本当に多くの森林が伐採されました。

1932年に5000万㎥だった木材伐採量が、1943年には10775万㎥にまでなりました。

その結果森林が荒廃しましたが、事態はここからさらに悪化します。戦争が終結後、今度は戦後復興のために建材需要としてさらなる需要が生まれたのです。

軍需による伐採、その後の建材としての需要による伐採が重なり、1950年代には日本の森林は殆どが伐採され尽くされてしまっていたのです。以下のグラフをご覧ください。1945年まで年々伐採量が増えているのと、伐採面積も急速に拡大。そして1945年では伐採量が著しく減少している一方、伐採面積はむしろ増加しています。つまり、本来では伐採時期ではない森林すらも伐採を行ったのです。

木材伐採量の変遷。1945年に大きく木材量が落ちている一方で、伐採面積は増加している(林業白書より)

そして、皆伐された森林に一斉に苗木を植樹しました。これが戦後の一斉造林と言われるものです。当時は建材需要がものすごかったために、植樹された樹種は殆どがスギやヒノキでした。スギ、ヒノキは真っ直ぐ成長し、更には成長が早いという特質がありました。そのため建材として利用されるのが一般の樹種だったのです。

収穫時期は50年後になりますが、当時の日本の情勢を考えてみれば、当然の選択です。

そう、この選択が、私たち現代人の大きな悩み、花粉症を作ったのです。

【なぜスギ・ヒノキだったの?】

戦後の日本人が、なぜスギ・ヒノキを植樹する樹種に指定したのか。それは分かりやすく、スギ・ヒノキが物凄く良い木だからです。特にヒノキの有用性は素晴らしいものがあります。建材にすれば1000年以上強度を失わず、真っ直ぐ直立不動で成長し、50年ほどで伐採時期を迎えるなんて樹種はそうはありません。日本には約1000種類以上の樹種が存在しますが、日本人は、正倉院を立てた西暦756年に既にヒノキを建材として使っていました。

それだけヒノキが建材として優秀である証拠です。

ケヤキやコナラ、ブナなどを想像してもらえれば分かりますが、他の樹木、特に広葉樹はごつごつとした樹皮と、複雑に分岐した幹を持ちます。これはこれで有用性がありますが、家を建てるには向きません。

まっすぐ育てやすい木の中でも、特に私たちの祖先が長い年月をかけて選んできた樹種、それがスギ・ヒノキなのです。

【日本の木材価格の高騰と貿易自由化】
 スギ・ヒノキが多く植えられた理由のもう一つとして、木材価格の高騰と需要の高さがあります。

戦後、日本では復興の為に木材需要が急拡大しました。特に焼け野原になった東京での木材需要はすさまじいものでした。家を作るための木材だけではありません。昔はビルを作る為に最初に組む足場土台にも木材が使われていたのです。

しかし、日本の森林はもうほとんどありません。その当時里山と呼ばれた手頃な山の木材は製鉄の為にすべて伐採しつくし、残っているのは若い苗木だけです。

こうした需要の増加とそれに見合わない供給の結果、1950年代には木材の価格が急激に上がったしたのです。

以下のグラフは国の林業白書から抜粋した木材価格の推移です。

何と、価格が15年間で約2倍にまで高騰したのです。この時代、立っている木を1本伐採したら、1人のその日の給与が出るといわれるくらいの値段でした。

そうすると、木材価格が日本の経済に悪影響を及ぼし始めました。

家を建てたり、本のためのパルプ材を作ったり、トイレットペーパーの原料になったりと、木材は私たちの生活に密接に関わっています。木材の値上げは可及的速やかに解消する必要があります。

https://www.rinya.maff.go.jp/j/kikaku/hakusyo/25hakusyo/pdf/6hon1-2.pdf

この状況を打破するために、1964年当時の日本は木材の貿易自由化、つまり外国からの木材にかけていた関税の撤廃を行いました。これにより木材の輸入量が緩やかに増加していきました。1980年ごろまでは高まる需要に木材供給が追いつかず、更には輸入木材の増加により国産木材のブランド化が進み、木材価格の高騰は進みました。しかしこの流れもバブル崩壊までです。その後は国産木材のブランドよりも、輸入木材による低価格化、そして建材として木材に代わるコンクリートなどの代替原料の普及が進みました。

こうして1960年代から1980年ごろにかけて起きていた国産木材の高騰は、おさまりを見せたのです。

そして、結果戦後大量に植えられた木は伐採されず、今の花粉地獄と森林の荒廃を招いたのです。

【まとめ】

いかがでしたでしょうか。これが日本の森林にスギ・ヒノキが多い理由です。

戦争のために、日本人は森林を多く伐採しました。それこそ戦後の木材需要に追いつかないほどに。こうして持続的な木材生産が難しくなった結果、国は木材の輸入自由化に踏み切ったのです。

それが新たな悲劇をもたらすとも知らずに。

次回ではこの木材価格の低下に伴う新たな課題についてお話していきましょう。

では、また次回。

あなたへの問い

この記事を読んで、あなたが森林についてより調べてみたいと思ったことは何ですか?3つ以上挙げてみよう。

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この記事を書いた人

東京大学卒同大学院修了。大学院時代にフィンランドに研究留学を行う。大学では森林科学に関する研究を行い、環境問題と地域創生に興味を持つ。今は福島市で学生向けの学習塾を経営し、次世代につなぐ教育を志して活動を行っている。趣味は釣りと息子と遊ぶこと。

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