田舎の普通は、都会の特別。丸森の田舎から魅力を発信。

宮城県南部、福島県との県境にある宮城県丸森町。阿武隈川に沿うように続く曲がりくねった山道を進むと、森のなかに突然現れる「いなか道の駅やしまや」。店主の八島哲郎さんは、曾祖父の代から丸森で商いを続けています。人口減に苦しむ丸森で、商売を続けるためにどんな工夫をしているのか。「田舎町」の魅力を発掘し、発信し続ける八島さんにお話を伺いました。

目次

感じた丸森の課題

生まれも育ちも丸森です。祖父も父も「八島屋」という店を営んできたので、私もいつかは継ぐんだろうなと思いながら育ちました。商業高校を卒業したあと東京で2年ほど働いて、店を継ぐために戻ってきました。昭和57年(1982年)5月のことで、20歳でした。

「八島屋」はもともと、いなかのよろず屋のような店でした。食料とか雑貨とかを販売する、いわばコンビニのようなお店ですね。父の代にガソリンスタンドを始めて、灯油なんかも扱い始めたので、私の最初の仕事は御用聞きでした。お客さまのお宅に伺って、何か足りないものはないですか、という。サザエさんの三河屋さんみたいな仕事です。

そんなふうに地域密着で商売をしてきましたが、私が手伝うようになってから丸森の人口は加速度的に減っていきました。若い人が出て行って、お年寄りしかいなくなる。これまでは地域の中でお金を稼ぐタイプのお店でしたが、これからは丸森の外から人に来てもらって、いわば「外貨」を稼がないといけないなと気が付きました。

当たり前が「価値」になる

まずはお店に直売所を追加しました。平成13年(2001年)10月のことです。地元の方に向けた商品は継続して置いていましたが、地元の農作物や加工品などの扱いを増やし、仙台や福島の人が「わざわざ足を運びたくなるお店」を目指しました。

次に目を付けたのが「農業体験」です。うちはもともと「八島屋」のほかに農業もやっていたので、その生業を活かし、「たけのこ狩り体験」や「干し柿作り体験」などを始めました。

「いなか道の駅やしまや」も農業体験も、始めたばかりの頃は地元の人に「こんなところに観光になんかこない」、「たけのこ狩りなんて誰もやりたがらない」と言われました。丸森は景色もきれいだし、癒される自然もたくさんありますが、ここに住む人にとってそれは日常のつまらない景色です。たけのこ狩りも、平地が少ない土地で我々が食べていくために見出した仕事であり、キツく、大変な作業のひとつでした。でも私は、田舎の人にとっては普通のことも、都会の人にとっては最高の気分転換になると確信していました。ぜったい当たるはずだ、と続けていると、だんだん外の人が来てくれるようになり、リピーターも増えてきました。

最初は「続かないだろう」と言っていた人も、外の人に褒められるとうれしくなるものです。お客さんが増えたり、雑誌やテレビに紹介されたりするうちに、だんだん「自分たちが当たり前だと思っていることは、実はすばらしいことなんだ」という意識が広まってきたようになりました。

「たけのこ狩り体験」を始めた当時、農業体験というものは、旅行ツアーの一環であり、流れ作業のようなものが一般的でした。大型バスで農家に乗り付けて、はい軍手です、はいこの辺の作物を収穫してください、はいこれがお土産です、バスに乗ってさようなら、というような。私は、それでは、田舎の本当の魅力を感じてもらえないと思い、「たけのこ狩り体験」ではお客様をスタッフの一員と思い、配膳や様々な準備を一緒にするようにしました。

お客様の反応は上々でした。「こんな体験したことがない」ということで、どんどんリピーターが増えました。都会で生活している人は、やっぱり疲れています。鉄筋コンクリートの家に住み、ビルの仕事場に通っていると、土と森に触れたくなるそうです。親子で「たけのこ狩り体験」に訪れたあるお母さんは、子どもとお父さんがたけのこを探し回っているかたわらで、地面に腰を下ろし、「あー、ずーっとこうしていたい‥」と竹林を見上げ、鳥の声を聞いていました。人をひきつけて離さない何かが、丸森の自然にはあるのだと思います。

移住者も増えてきました。都会から来てたけのこ栽培や栗栽培を始めた人もいましたし、世界何十か国も旅してきた結果「定住するならここしかない」と移住してきた人もいました。そんな人が溶け込んで、地域の雰囲気も変わってきたなと思ったときに、東日本大震災が起き、原発事故が起きました。たけのこ狩り体験も数年間中止せざるを得なくなり、積み重ねてきたことが崩れ去ってしまいました。ここ数年は観光客もだいぶ戻ってきましたが、悔しい思いが消え去ることはありません。

これからの展望と課題

これからの課題は、やはり人口減少です。東日本大震災から11年が経ち、人口減少はさらに加速しています。この地域はおじいちゃんとおばあちゃんの二人暮らしが多いのですが、どちらか一人が亡くなると、「この田舎で一人暮らしは不安」と、もう一人も都会に引っ越してしまう。2-1=0になってしまうんです。丸森の人口はどんどん減少し、「やしまや」がある耕野地区は、人口500人足らずの集落になってしまいました。今、店の売り上げは、外の人が7割、地域の中の需要が3割です。

追い打ちをかけたのが、近年の大型台風や豪雨です。「やしまや」も2019年の台風19号の豪雨で浸水しました。土砂崩れで住めなくなった地域や、道路が直らなくて移住を余儀なくされた場所もあります。丸森は長年の積み重ねで知名度を上げてきたので、観光客のおかげで、まだもう少しは頑張れます。でも、崖っぷちであることに変わりはありません。PRはまだまだ続けないといけないと思い、2021年は40日間、都会に出て販売会などに参加してきました。私の子どもも丸森に戻ってきてくれて、インターネットを使った販売やSNSなどもできるようになりました。

「わざわざ来たいお店」を目指して

いま、「やしまや」のミッションは、地元の食品、特に「たけのこ」と「干し柿」のほんとうのおいしさを伝えることだと思っています。リピーターになってくださるお客さまも、「ここの干し柿は全く味が違うのよ」と言ってくれます。そういう人をもっと増やして、丸森の魅力を知ってほしいと思います。加工品では、「たけのこカレー」が人気です。うちのカレーは、シャキシャキとした食感と入っているたけのこの量が違うんです。たけのこのおいしさを思い切り堪能できますよ。

田舎で商売してきて、今年の12月で130年になります。これからも「わざわざ来たいお店」でいられるよう、努力を続けたいと思います。

おすすめの本
村上龍 「13歳のハローワーク」(幻冬舎)

さまざまな職業が紹介されている本です。この本の中にやりたい仕事があればそれを、無ければ自分で作りましょう。

(本の情報:国立国会図書館サーチ)

写真提供=八島さん

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この記事を書いた人

仙台、東北を中心に活動する広告制作会社&代理店。2019年創業。インタビューやキャッチコピーなどのコピーライティングをはじめ、パンフレットやウェブサイトなどのデザイン、ブランディング等に携わる。社員全員が食とお酒に対して貪欲であるため、六次産業化等の商品開発、ブランディングが好き。

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