「まちづくり」を仕事にするということ

仙台市北部にある商業施設「ブランチ仙台」内にある交流スペースを運営する「NPO法人まちづくりスポット」の岩間友希さん。東日本大震災後に仙台に移住し仙台駅東口の「EKITUZI」の運営や地下鉄東西線のプロジェクトなど仙台のまちづくりにも関わってきました。「まちづくり」を仕事にした理由やその魅力、難しさを聞きました。

目次

「まち」との関わり

私は、東日本大震災のあと、東京都の町田市から宮城県仙台市に移住してきました。仙台には縁もゆかりもなかったのですが、偶然の出会いをたどってきたら、仙台に定住していたという感じです。

東京では、30代になるまで広告の会社で制作の仕事をしていました。広告の制作なので、基本オフィスの中で働く職種なのですが、私は出歩くのが好きで。勝手に「日ごろから仕事で出歩いている営業担当よりまちに詳しくなる!」という目標を立てて、色々なお店に足を運んでいました。今思えば、当時から「まち」が好きだったんですね。「まち」の匂いや働いている人の顔を体感するのが大好きでした。

そんなふうに働いているうちに20代後半に差し掛かり、このままの仕事でいいのかなと考えるようになりました。そんな時期に起きたのが東日本大震災だったのです。当時行きつけだったのが、宮城県の食材を扱う飲食店。そこに通う人たちで宮城のために立ち上がろうと復興イベントを仕掛けたのが、私が「まち」に対して起こした最初のアクションでした。

宮城の酒蔵やお店と、東京のバイヤーさん(商品を仕入れる担当者)をつなげるというイベントだったのですが、そこでいろいろな宮城の人に出会って、だんだん「移住って選択肢のひとつだな」と思うようになりました。仕事のあてがあったわけではないのですが、広告業界でバリバリ働いて鍛えられた自分なら何とかなるんじゃないかという楽観的な気持ちもあり、2014年に宮城に移住しました。

宮城にやってきて最初に勤めたのが「創業スクエア」でした。震災で被害を受けた会社の新規事業や「第二創業」と呼ばれる新分野への挑戦をさまざまな側面からサポートする団体だったのですが、ここでの経験は私にとってとても貴重なものでした。

広告業界で働いていた時は、担当している会社の広報やマーケティングの方法に疑問を持っても口を出せませんでしたが、創業スクエアでは、事業そのもののあり方にアクセスすることができました。経営の視点を持つことで、初めて知ることも多くて。それがとてもおもしろかったし、勉強になりました。

2016年に「創業スクエア」が解散したあとは、同じところで働いていた先輩の会社に就職しました。建築設計会社だったのですが、まちづくりに関するプロジェクトにも関わることが多い部署だったので、そこでとにかく鍛えられました。地下鉄東西線の開業に際して始まった「WEプロジェクト」や仙台駅東口の「EKITUZI」などは、その会社にいた時に関わったプロジェクトです。

私はこういう場が好きなんだな、こういうところで生きていきたいな、と再認識したのが、この時期です。まちのキーマンに話を聞きに行ったり、企画を考えて実践したりするのが、「これが仕事でいいの?」と思うほど楽しかったんです。たくさんの人に会って、その関わりでまちをつくり上げていく過程がほんとうにおもしろかった。好きなことに関わっていたら、いつの間にか「まちづくりの人」になっていきました。

その後、会社から独立し、個人事業主としてまちづくりの仕事をし始めました。仕事としてまちづくりをやれるかなと思ったのは、世の中にはプロジェクトがあふれているんだという気づきがあったからです。「WEプロジェクト」や「EKITUZI」などに関わるうちに、そういうプロジェクトがどういう成り立ちや体制で出来上がっているか、どんなふうにお金が動いているかが理解できるようになりました。行政にも個人にも企業にも、あらゆるところに「まちと関わりたい、人の輪をつくりたい」という気持ちがあって、その気持ちが、助成金や出資などというかたちでお金の流れやプロジェクトをつくり出していることに気づきました。そういうところに関わっていけば、「まちづくり」を仕事として生きていけると思いました。

「よそ者」の視点を活かして

現在は、ブランチ仙台というショッピングモールの中にある「NPO法人まちづくりスポット仙台(まちスポ仙台)」で働いています。ここは、ブランチ仙台を運営する株式会社がスタートさせた場です。2019年4月に今の「まちスポ仙台」の前身となる交流スペースがあって、その運営を任せていただきました。

「まちスポ仙台」の仕事を任されて最初にリサーチしたのは、この交流スペースをつくった会社は何を考えてつくったのだろう、私たちは何をするべきなんだろう、ということです。企画者とのヒアリングを進める中で、「わたし売る人、あなた買う人」型の一般的なショッピングモールでは、人口の減る10年後にも選ばれ続けるほどには、人との関わりを築けないという危機感があることが分かりました。一方で、まちの人は「商業施設がなにか始めたようだ」と遠巻きに眺めている。じゃあ、私たちがやることは、ブランチ仙台を運営する会社や、テナントや、ブランチ仙台で何かを興したい人たち、そして地域の間に入ることだと考えました。「まちスポ仙台」は、地域の人がやりたいことをサポートできる場です。地域の声を吸い上げて、どう実行するかを考えるのが私の役割なんだなと思いました。

例えば今は、「医大生バー」の立ち上げ、運営をサポートしています。これは、東北医科薬科大学の学生さんが世代間交流を目的としたバーをやりたいと持ち込んできた企画です。あくまで地域の人とコミュニケーションをとる場としてのバーなのですが、立ち上げるには保健所の許可が必要で。保健所としては飲食店として扱いたい、医大生としてはあくまで「場」である、というすれ違いが起きたりするので、そういうところの間に入って、実現のための道筋をつけたり、話し合いの場を設けたり、ということをしています。

そのほかにも、町内会の人と関わって、10年後も持続するまちを築くためにどんな取り組みが必要か考えたり、それを実現するためにブランチ仙台と交渉したり、とにかく人と会い、話すことばかりの日々です。

さまざまなプロジェクトに関わるなかで、私は第三者がいる必要性を身をもって感じてきました。私は、まちにとってはあくまで「よそ者」です。いくらまちの人と親身に関わっても、よそ者はよそ者です。でも、よそ者でいることで客観視できる部分もあります。主観的、感情的な気持ちはまちづくりにとってもちろん重要ですが、客観視できる第三者だからこそできること、第三者がいるから実現できることも多いなと感じています。

多様性を当たり前に

大企業の支店が多く「支店経済」といわれる仙台は、移住者や転勤族が多いまちです。私のような移住者も、壁がなく受け入れてくれたなという感覚があります。これから仙台は、人口減の時代に入ります。そういう状況のなかで、仙台が多様性を受け入れるまちであるということは、もっと重要になってくると思います。

例えば働くということにも「多様性」が大切だと考えています。「まちスポ仙台」でも子連れ出勤OKだったり、私を含めて複業しているスタッフが多かったりします。色々な分野で「多様性」を当たり前にしていくのが、仙台の新しい価値観につながるのではないかなと思っています。

まちづくりの基本は、とにかくどんどん外に出ることです。教科書で学んだことは、外に出ないと活かせません。物おじせずに人とコミュニケーションをとって、どんどん新しいことにチャレンジしてほしいと思っています。

おすすめの本
松本修「全国アホ・バカ分布考」(新潮社)

高校生のときに感動した本のひとつ。TVのディレクターが番組のために「アホ」と「バカ」の使われ方の分布について調べ始めたらハマッてしまって…というノンフィクションです。私はこの本を読んで、大学で言語学やメディア論を学ぶきっかけになりました。身の回りの一見くだらなそうなことも、調べ始めれば深くてハマっちゃうし、世界とつながるおもしろいテーマが潜んでいるものなんだなと気付くことができる本です。

(本の情報:国立国会図書館サーチ)

写真提供=岩間さん

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この記事を書いた人

仙台、東北を中心に活動する広告制作会社&代理店。2019年創業。インタビューやキャッチコピーなどのコピーライティングをはじめ、パンフレットやウェブサイトなどのデザイン、ブランディング等に携わる。社員全員が食とお酒に対して貪欲であるため、六次産業化等の商品開発、ブランディングが好き。

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