福島・浪江から描く、まちの未来

福島県浪江町を拠点に、福島の産業振興やまちづくりを行っている高橋大就(だいじゅ)さん。東日本大震災をきっかけに結成された「一般社団法人東の食の会」では東北地方の1次産業の生産者同士をつなげ、ヒット商品や販路を創ってきました。高橋さんは2021年に浪江町に移住。震災から10年以上東北に関わってきた経緯や、浪江町で描く未来を伺いました。

目次

外務省勤務で気づいた農業の課題

 大学卒業後は外務省に勤務していました。外交官としてアメリカ・ワシントンの日本大使館に勤務し安全保障問題を担当しました。
 日本の1次産業の課題に気づいたのは、アメリカから帰国後、日米の通商問題を担当していた時でした。日米の貿易や日本経済について考えていると、日本の農業の課題が見えてきました。自分自身は東京の出身ですが、両親が岩手県の宮古市の出身なので地方にルーツがあり、地方の商店街が衰退していく様子には胸が苦しい思いをしました。公務員として経済政策には関わっているものの、「1円も稼いだことがない」自分が経済を語っていることに違和感を抱いていました。


 そこで、将来は農業関連で起業しようと思い、10年ほど務めた外務省を退職して、民間企業に転職しました。そこで農業関係のプロジェクトを担当し、そのプロジェクトの最終日に、東日本大震災が起こったのです。津波、そして原子力発電所の事故の様子を見て、私はすぐに東北に向かいました。その後、2011年6月に「一般社団法人東の食の会」を設立、事務局代表として、東北の「食」のプロデュースの活動をすることになりました。

東北のヒーロー生産者との出会い

 「一般社団法人東の食の会」では10年以上「ヒーローを創る」、「コミュニティを創る」、「ヒット商品を創る」、そして「販路を創る」という4点に取り組んできました。被災した各地で活動している団体やNPOの方はいらっしゃいましたが、私たちはより広域で活動していました。

 まずは「主役は生産者さん」ということを心掛けました。東北の各地で、意志ある農家さんや漁師さんと出会ってきました。東北には「ヒーロー」と言える生産者さんがたくさんいらっしゃいました。異次元の大変さに直面した方のパワーはものすごいと感じました。そんな生産者さん同士をつなげるため、生産者さんを集めた勉強会や交流会を開催してきました。

 津波や原発事故の被害で、東北の食、福島の食はなくなってしまう、という未来もありえたかもしれない。でも私たちは今美味しい東北の食が食べられています。私たちの手で福島の魚を海外に輸出することもできました。生産者さんがあきらめずに努力したからこそ、未来が切り拓かれたのだと考えています。東北の食の価値は、生産者さんの人の価値だという気づきもありました。

「サヴァ缶」を開発する

商品開発の中でヒット商品になった一つが岩手県の会社と一緒に開発したサバの缶詰「サヴァ缶」です。こだわったのは、東北の美味しい食を正当な価格で販売し、生産者が利益を上げられるようにすること。例えばサバの缶詰の販売価格は安いもので100円程度、「とにかく安く売るのがいい」という売り方をしてしまうと、東北の食の価値が伝わらないと感じました。
 
そのなかで、1缶約360円という従来の価格の3倍以上の「サヴァ缶」はこれまでの常識を変えるモデルでした。サバをオリーブオイルで漬けるという洋風の缶詰。おしゃれなデザインにこだわり、販路が徐々に広がり、累計1000万缶の出荷を達成。また、商品が売れただけではなく、鯖缶全体の人気を高めることにもつながりました。

震災から10年。浪江町に移住

震災から5年が経った2016年頃からは福島の食産業のプロデュースに力を入れて取り組んできました。被災地の中でも、原発事故を受けた福島の食の発信には何とか関わりたいと考えていました。そして福島の食の発信に取り組み始めると、福島の中でも原発事故で避難指示などの対象になった12市町村で何かをやりたいと考えていました。

それまでは、東京に住みながら東北に通い、東北の食のプロデュースを行ってきましたが、浜通りでコミュニティを再生する当事者になりたいという思いがありました。そこで、2019年には福島県の沿岸部、浜通り地区のまちづくりや社会課題解決ビジネス作りに取り組む「一般社団法人NoMAラボ」を設立し、徐々に浜通りでの活動に軸足を移してきました。そして2021年、震災から10年を迎えたタイミングで、福島県浪江町に移住しました。

浪江町は原発事故の影響で町全体に避難指示が出されました。全員が町の外に避難し、一時人口がゼロになった町。震災時は約21500人が住んでいましたが、2022年4月末の居住人口は約1800人です。

今浪江町にいる住民は、思いを持って戻ってきた人や思いを持って移住してきた方々。意志ある方々がたくさんいるからこそ、可能性を感じています。浪江でやっていきたいのは、浪江の住民の方と一緒に、町の課題を解決していくことです。

2021年11月には「なみえ星降る農園」を開園。首都圏をはじめ多くの方に当事者として関わってもらいながら、国内ではなかなか栽培されていない作物を栽培する「コミュニティ実験農場」です。作物を実験的に育てながら、この土地の気候や土壌に合った作物を探し、ブランドを産み出していきます。

肥料には土壌の改良や獣害対策に有効と言われるヒトデを使っています。浪江を訪れたた方がこの農場で土を作り、種をまき、草を刈り、収穫を体験していただくことでこの地域の食へのイメージを変えられると考えています。

また、NoMAラボでは、「なみえの記憶・なみえの未来」と題したアートプロジェクトも行っています。住民の9割が町外にバラバラに住んでいるという状況で、思い出の共有・継承すら難しい。また、町の歴史・文化に根差した上で、どんな町を創っていくかを考えるのは企業や専門家ではなく、住民であるべき。そこで、浪江町の住民の皆さんが残したい記憶と創りたい町の姿を描いたアートを町の各所に展示していくことで、町の記憶を紡ぎ、町の未来へのビジョンを共有していこうというプロジェクトです。

制作は知的障害のある作家さんの「異彩を放つ」アート作品を社会に送り出している株式会社ヘラルボニー(岩手県盛岡市)に依頼しました。多くの方でにぎわった町のお祭りの様子などが描かれています。今後アート作品を増やし、浪江を訪れた人がアートを回って楽しめるようにしたいと考えています。

具体的なよいモデルを示す

日本は「前例主義の国」だと思います。過去の例にならってしか物事を判断することができない。それならば、それを逆手にとって、具体的なよいモデルを自ら創ってしまい1つでも示すことができれば、社会を変えられると考えています。私は「サヴァ缶」を開発した時にそのことを感じました。今度は地方から、まずはここ浪江で事例を創って突破していきたいと考えています。

自分がやりたいことをやるということが、成功する確率を高められると考えています。逆に言えば、やりたくないことでは成功ができない。本当にやりたいことをやる方が、モチベーションも高いですし、知識の吸収も早いですし、技術やスキルを高めることができると考えています。まずは挑戦してみることが大切だと思います。自分たちの手で創ることは自分が当事者だという感覚につながります。この当事者性があれば、よい課題解決ができると考えています。

「なみえ星降る農園」から見える景色。山、川、そして海が見渡せる。


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この記事を書いた人

東京大学教育学部卒業後、全国紙の新聞記者として広島総局・姫路支局に勤務し事件事故、高校野球、教育、選挙など幅広い分野を取材。民間企業を経て、2021年に株式会社オーナーを起業し、本教材「探究百科GATEWAY」を開発し編集長を務める。

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