ボランティアのはじめ方

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ボランティアの始まり


2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。大津波と原発事故が東北地方を襲い、甚大な被害をもたらしました。当時東京で大学3年生だった私は、故郷の岩手県が被災したことを見て、何かできないかと思っていました。

 私は大学3年生の夏休み、岩手県に帰省してボランティア活動に参加します。そこは盛岡市にある自宅から自転車で10分ほどの距離にある、支援物資の配布所でした。震災後に立ち上がった「一般社団法人SAVEIWATE」という団体が運営していました。家から近いところにあるからという理由で、ボランティアに参加をしたのです。(「SAVE IWATE」の代表寺井さんのインタビューはこちら

全国から集まった衣類や食品、食器などが2階建ての建物に所狭しと並べられ、被災をされた方が次々にやってきて、段ボール箱いっぱいに支援物資を受け取っていきました。沿岸から車で2時間かけて盛岡に来て物資を受け取る方もいらっしゃいました。

 2週間ほど作業を手伝った後、配布所のスタッフさんから、「東京でも物資を集めてくれないか。トラックはうちにあるから、東京まで受け取りに行ってもOKだ」というお話をもらいました。私は、東京でも何かできないことはないか考えていたので、「ぜひやります」というお話をして東京に戻りました。

ミッション達成へのステップ

「東京で被災地に向けた支援物資を集める」というミッションをもらった私は、下記の流れでボランティア活動を進めていきました。

「課題解決のステップ」(ボランティア)

 まずは「拠点を作る」ことです。実は幸いにも、拠点はまず見つかりました。それは、当時住んでいた学生寮の空き部屋を支援物資の倉庫にすることでした。これならば、大型の冷蔵庫や洗濯機を保管することも可能です。私は、住んでいた寮の館長さんに交渉し、寮の空き部屋を快く提供してもらえることになりました。

 今度は自分の活動に協力してくれる人を募って「チーム」を作らないといけません。これは、高校時代の同級生や寮に住んでいる友人が協力するといってくれました。

 あとは、活動をみんなに知ってもらうことです。活動を知ってもらわない限り、支援物資を集めなければいけませんそこで、私は2つの方法をとりました。1つは新聞社に依頼して、物資を集めていることを記事にしてもらうこと。そしてもう1つは学生寮の近くの人たちにチラシを配り、支援物資のご協力をお願いすることです。

 新聞記事は効果があり、東京の各地から「物資を引き取ってほしい」という連絡がありました。私はレンタカーを借りて、各地の物資を引き取りに行きました。それ以上に効果を発揮したのは、学生寮の近くの人たちへのチラシでした。学生寮は東京都の「豊島区」の近くにありました。大きな駅でいうと「池袋」の近くにあります。その豊島区はボランティア活動やNPO活動が盛んな区だったので、多くの人が活動を知ってくれました。

 最終的には、洗濯機や布団、椅子やテーブルといったたくさんの物資がわずか半年の間に集まりました。結果、トラック数台分の物資を岩手に送ることができ、豊島区で開かれている復興支援イベントには毎月のように招待され、被災地の方が作った手縫いのぞうきんや、くるみで作られた商品を販売していました。震災から1年を迎えた日は東京で支援イベントを企画し、集まった人で手をつないで被災地への祈りを捧げました。


 東日本大震災から10年が過ぎ、32歳になった私は当時を振り返ってこう語ります。「何かしなければ」と思った時に、勇気をもって一歩行動できたことがよかったと思います。それから、高校時代の同級生がボランティアを手伝ってくれたことがうれしかった。あの時は、世界中の人たちが東北の復興を応援してくれた。今度は応援してくださった方に恩返しができればいいなと思っています。

おすすめの本
諏訪清二「高校生、災害と向き合う 舞子高校環境防災科の10年」(岩波ジュニア新書)

舞子高校は兵庫県にあり、全国で初めて防災系の学科が設置された学校。東日本大震災当時のボランティア活動や舞子高校での学びが記録されており、当時の高校生の行動を知ることができる。

(本の情報:国立国会図書館サーチ)

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この記事を書いた人

東京大学教育学部卒業後、全国紙の新聞記者として広島総局・姫路支局に勤務し事件事故、高校野球、教育、選挙など幅広い分野を取材。民間企業を経て、2021年に株式会社オーナーを起業し、本教材「探究百科GATEWAY」を開発し編集長を務める。

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