「死」や「老い」を伝えるフリーペーパーを創刊した公務員

いわき市役所で働く猪狩僚さん。「地域包括ケア」の担当として、フリーペーパー「igoku(いごく)」を創刊しました。「死」や「老い」を伝えという踏み込んだ視点のフリーペーパーは市役所が作ったとは思えないデザインと内容です。なぜ「igoku」を創刊したのか、その裏に秘められた思いを猪狩さんに聞きました。

目次

市役所の仕事を通して

福島県いわき市の出身で、大学卒業後にブラジルに留学しました。ブラジルを選んだのは、ブラジル音楽が好きだったから。昼は働きながら夜勉強する、というような生活を1年半くらいしてから日本に帰国。地元のいわき市役所に就職しました。それが2002年のことでした。そして最初の配属は水道局、その後財政課や行政経営課など、市の政策に予算をつける仕事を経験していました。

印象的な仕事は2012年。東日本大震災で市内でも大きな被害を受けた地域のまちづくりの姿を住民の方と一緒に描くという仕事でした。住民の方とひざ詰めで向き合うことの大切さを学ぶ一方で、「市役所の考えていることが住民の方に本当に伝わっていたのだろうか」という反省点もありました。住民の方向けの資料を作っていたのは私なのですが、私の力だけでは、伝えたいものが伝えられないと感じた出来事ではありました。この経験は「igoku」にもつながっていきます。

その後、2016年に「地域包括ケア課」という新しくできた部署に移ることになりました。初めて福祉を担当することになりましたが、これまでも福祉は興味がある分野でした。国の予算でも社会保障に関わる予算が多いわけですが、地方も一緒です。予算をつける仕事をしながら、なぜこんなに福祉にお金や人をかけているのだろうという思いはありました。この異動をきっかけに、まずは福祉について自分が学んでみることがから始めました。

死」や「老い」をタブー視しない

 まずは、同じ部署の先輩に聞きました。「福祉を勉強するためにはどこに行けばいいですか?」と。そこで紹介された医者の勉強会や高齢者の方の集まりに1人で足を運んでみました。まずは現場に足を運んで、1次情報を取りに行ってみたのです。それを1年間くらい見てみると、高齢者の方に対するイメージが変わったのです。メディアやニュースで見るような、膝痛い、腰痛い、お医者さんも近くにいないし辛い…ではなくて工夫して人生を楽しんでいる方々がたくさんいらっしゃいました。

元気で、日々の暮らしを楽しんでいる高齢者の皆さんに会ったことで、少なくとも、世の中の一般的な、高齢者へ抱くイメージとはだいぶ違うぞと思いました。「皆さんは、高齢者って、大変そう。歳をとりたくないと思っているかもしれませんが、実は、そんなこと全然なくて、毎日をめちゃくちゃ楽しんでいますよ」ということを発信したいなと思いました。

また、人生の最期について考える雰囲気作りが必要だと感じました。例えば大切な人が介護状態になったり、末期がんになったりしたとしても、その人の望みをかなえてあげるためにどうすればいいか、それをみんなが考える必要があるだろうと考えました。

例えば40代の私にとっても、今は親が元気かもしれませんが、いつ介護状態になるかわからない。倒れた親をどう支えるかを考えることは大切なことです。しかし、なかなか人生の最期のことや介護が必要になったことを他人に聞くことは難しいことだと感じています。

「死」や「老い」をタブー視しないことが大切。「死」や「老い」を考えるハードルを下げたい。そこで考えたのが、メディアを作ること。最初にWEBがいいかなと考えましたが、高齢者の方にも見てほしいと考えるとWEBだと読めないので、WEBと紙のフリーペーパーの両方を作ることにしました。これなら普段意識しない方々にも情報が届くのではないかと考えました。

まずは「誰に読んでほしいか」を考えました。まず考えたのが、まさに自分と同じような属性の、「40代で、親が元気で、子育てをしている。福祉はよくわからない」層に届けるということでした。この世代は、親の介護が必要になるときがやってきます。そして介護になって初めて、介護のことを考える。だからこそ、そうなる前に、「死」や「老い」について考えてほしいと考えていました。

そして、編集については。ライターやデザイナー、映像作家に入ってもらったのですが、みな同世代で固めました。「自分たちが読みたいかどうか」という視点で考えていきたいからです。フリーペーパーのタイトルはいわきの言葉で「動く」を意味する、「igoku(いごく)」としました。

そして2017年12月に完成した創刊号が「やっぱ、家で死にてぇな!」

人生の最期を迎えたい場所は「自宅」という方が多いにも関わらず、亡くなっている場所は「病院」が最も多いというデータを紹介しながら、在宅医療や在宅看護という選択肢を紹介しました。「家で死にたいけど死ねない」という現状や最期の迎え方を考えていただくきっかけをお伝えしました。

◆「igoku」へのリンクはこちら

・igoku(WEB版)

https://igoku.jp/

・igoku(紙版がすべて読めるアーカイブ)

https://igoku.jp/category/archive

そして、私たちはフリーペーパーを発行するだけではなく、「いごくフェス」というイベントも開催しました。演劇やトークショー、ライブなどを通して「生きること、死ぬこと」を考えるイベントです。第1回は2018年2月。その会場には葬式に使う「棺桶」を置いて、「入棺体験」ができるようにしました。500人の来場者の方のうち130人が入棺を体験。その様子は「igoku」でも取り上げました。タイトルは「いごくフェスで死んでみた!」

全人類が避けている「死」について考えて頂くには、言葉でアタマに訴えるだけでは足りないと考えていました。だからこそ言語以外を使って、身体にも訴えないといけない。だからこそ棺桶に入ってもらい、体に訴えてみようと考えていました。また、高校の研修でいわきを訪れ、「入棺体験」をしてもらった埼玉県の高校生が、学園祭で「入棺体験」や「遺影の撮影会」を企画してくれたこともありました。

「チーム全員で話を聞きに行く」 編集の工夫

県外からの反響が大きかったのは、2019年3月に発行した「認知症解放宣言」。この表紙は、認知症の方の顔にフィルターをかけていて、ページをめくるとその方の顔が見えるという仕掛けにしています。

「認知症」という属性で当てはめるのではなく、1人ひとりの人間がいるということを伝えたいと考えていて、この表紙にしました。私たちは「認知症」ということを、何かステレオタイプ(固定観念)を通して考えているかもしれない。そういうフィルターをはめるのはやめませんか、ということを伝えようと考えました。

この号を準備する前には、編集メンバー全員で認知症の方が過ごす施設(グループホーム)に3日間くらい過ごしてみたのですが、3日間くらい過ごすと、認知症だから大声を上げるとか徘徊するとか、大変な状況ではなく、みなさん穏やかに過ごしていたことがわかりました。

実は、毎回この「編集メンバー全員で話を聞きに行く」ということをしています、これが実はポイントで、一見効率は悪いのですが最終的なフリーペーパーの質を上げることにつながっていると思います。ディレクター、デザイナー、映像作家、編集長の私、で伺い、同じ経験をすることで、チーム全員で気づきを共有することができます。ライターは文章だけ、カメラマンは写真だけ、のように分業するのではなく、みんなで取材の時間を共有することがよいアイデアにつながると考えています。みんなで取材に行った後、帰り道の車の中の会話が、打ち合わせになっていました。

そして、「igoku」は2019年度の「グッドデザイン賞」で全体の第5位を頂くことができました。「グッドデザイン賞」は日本最大級の総合的なデザインコンテストで、4772件の応募作品のうち、5位という結果を頂くことができました。この結果につながったのは、私たちだけではなく、10年以上前から、いわきの方々が医療や介護に取り組んできた土壌があったからだと思います。

グッドデザイン賞の授賞式などの様子を紹介した「いごく(WEB版)」

https://igoku.jp/tunagaru-5056/

フィルターを外して考える

よりよく死ぬことを考えるということは、よりよく生きるを考えることにつながります。いつか必ず死ぬ、ということを考えた方が、世の中はよりよくなるし、一期一会の出会いに大切に向き合うでしょう。「igoku」や「いごくフェス」を通じて考えたのですが、たまに人生に終わりがあるということを意識することはいいことだと感じています。

いわき市役所の公務員として「igoku」に関わりましたが、公務員という立場であればどこにでも行けますし、誰もが身元を信用してくれます。行政は、社会はこっちに行った方がいいよねという方向性を示すことができると考えています。だからこそ「何のためにやって、どんな社会にしたいのか」を考えることがとても大切だと考えています。
これから多様性を尊重する時代になる中で、「igoku」で挑戦した「フィルターを外して考える」ということは、色々な分野で求められていくと思います。障害、外国人、多文化共生、色々な分野で「フィルターを外して考える」、「1人ひとりと向き合う」ということに取り組んでいきたいと考えています。

写真提供=猪狩さん

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この記事を書いた人

東京大学教育学部卒業後、全国紙の新聞記者として広島総局・姫路支局に勤務し事件事故、高校野球、教育、選挙など幅広い分野を取材。民間企業を経て、2021年に株式会社オーナーを起業し、本教材「探究百科GATEWAY」を開発し編集長を務める。

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