「岩手のアイドル」として活躍するふじポンさん。テレビ番組への出演をはじめ20年以上岩手の魅力を県内外に発信し、たくさんの岩手県民に親しまれる存在です。実は幼稚園の先生の資格も持っているふじポンさん。「ローカルタレント」の道に飛び込んだきっかけを聞きました。
ローカルアイドルへの道
岩手県盛岡市出身です。子供のころから、人前で話すのが好きでした。そして、みんなが楽しいことが自分も好きでした。小学校の時に学級委員長をやりましたし、歌うのも好きでした。高校生の時も、常に夢が変わっていて、歌のお姉さん、保育園の先生、お笑い芸人、アニメソングの歌手…と色々な夢を考えていました。当時は「岩手のアイドル」になろうとも思いませんでした。
人前に出たいな、と思いながらも、「でもそんなチャンスなんてないよね」と現実的な選択をし、岩手を出て、短期大学で幼稚園教諭の免許を取りました。私自身4姉妹の長女。一番下の妹とは12歳離れていたので妹たちをかわいがっていました。「子どもはかわいい」と感じていたので、幼稚園の先生を目指し、卒業後は岩手に戻り、託児所で働いていました。
転機になったのは、20歳の時。偶然街で友人と久々に会いました。その友人は地元のテレビ局でテレビ番組を作っていました。そこで「テレビ番組に出ない?」と誘われたのです。深夜に放送されている番組に出演する一般人を募集しているとのことでした。「ふじポンも出る?」と聞かれて、「出る出るー」と言いました。この「出る出るー」の一言が、転機になりました。
そこからテレビ局の方と面接をして好き勝手しゃべって、げらげら笑っていたら、「面白いね!」となり、深夜に放送されている番組への出演が決定。「恋愛についての格言をみんなで話し合いながら番組オリジナルの格言を作る!という番組でした。そのころは何も怖いものがなかったので、番組ではめちゃくちゃなことも自信満々しゃべっていたと思います(笑)。あとはテンションかな。今まで岩手にこんなにうるさい人がいなかったのかもしれません。
そこでも「面白いね!」となり、いきなり「空飛ぶ三輪車」というお昼の番組のMC(司会者)になります。そこから「岩手のアイドル」の道が開けました。
思い返してみれば、ふじポンも出る?」と聞かれて、「あ、うん、私は出ないよ」とクールに言っていたら、今の私はありません。「それ、やったことないから…」とちょっと考え込んで断ったら、「岩手のアイドル」にはなれなかったと思います。
自分に素直だったことがよかったのかもしれません。「こうなりたい!」という夢の方向性を大まかに持っていて、後は楽しそうだと思ったら、やる。ある意味「ノリ」ですよね。好きなことには遠慮をしないということが、「ローカルアイドル」への道を開いてくれました。
この仕事を続ける理由とは
「やる」と決めて楽しくなってくると、楽しいことを続けたくなってくる。私はその段階で初めてクールに「どうやったらこの仕事を続けられるか」を考えました。
この仕事を続けようと思ったのは、岩手の魅力と出会ったからです。たくさんの市町村を回らせていただいて、岩手の魅力をたくさん感じました。まずは食べ物。三陸の海の幸は本当においしいです。漆をはじめ、伝統工芸品や伝統芸能が各地にあります。そして風景。自然が豊かで、テレビ番組のロケ中にぼーっとしている時に見る景色がとてもきれい。まさにデートにぴったりで、「インスタ映え」するような景色があるんです。
自分が高校生だった時は「東京の方がおしゃれでかっこいいし、岩手には何もない」と思っていました。高校時代、バスや電車に飛び乗って、色んなところに行けばよかった。もっと自由に動いてもよかったんだなと感じています。
こんなに素晴らしい岩手を、どうやったら発信できるだろう。当時岩手の魅力を全国に向けて発信する人は少なかったので、私がどんどん発信していこう、という風に思うようになりました。だからこそ「この仕事を続けたい」と思うようになり、ラジオやイベントの司会、CM、CD…そういった依頼を「やってみない?」と言われて、どんどん頂けるようになりました。そして、気づけば20年以上が過ぎていたのです。
岩手の子供たちのために行動
もともと子どもに関わる仕事をしていたこともあり、子ども向けの活動にも取り組んできました。例えば東日本大震災の後、被災地の子どもたち向けに企画をした「夢えほん」。「夢をもって一歩を踏み出せ!ワカモノ夢プロジェクト」というプロジェクト。子どもたちの夢を書いて、ふじポン達が作ったポストに入れてもらったら、その夢をかなえた大人と会える、大人たちからメッセージをもらって子どもたちに届けるという活動でした。
例えば「歌手になりたい」子どもには、岩手で活動している歌手の方からメッセージを頂きました。プロ野球選手やサッカー選手、オリンピックの金メダリストなどたくさんの方がメッセージを寄せてくれました。そして大人たちも「子どもたちのために役立つのであれば協力します」と思っていたことも嬉しかったです。
現在も「わらしゃんらんど」という取り組みに参加しています。岩手のイラストレーターの方たちと一緒にチームになり、岩手の魅力をわかりやすくまとめたアニメやダンスの映像を作成。DVDにして、幼稚園、保育園、児童養護施設計約460施設にお送りするという活動を行いました。その後かるたや塗り絵なども作っています。
岩手のために発信を続けていく
「ローカルアイドル」として21年。全てが楽しい仕事でした。自分で決めたことなので、続けてこられたんだと思います。つらいこともありますが、自分で決めたことなので仕方ないか、という思いもあります。これからの目標は「80歳までアイドルをと言い張る」と決めています。80歳でアイドルやって、よぼよぼで食レポとかしていたら、面白いと思ってもらえるかなって。それくらい、「岩手を好きになる人が増える」ために岩手の発信を続けていきたいと考えています。
最近の若い方と話していると、「グレーなんですよ」という言葉が少し気になることがあります。自分のことなのに「グレーなんですよね」と話す人がいる。
個人的には、白か黒かはっきりさせた方がいいんじゃない?と考えています。私は自分に素直だったことがよかったのかもしれません。「やりたいことをやる、やりたくないことをやらない」というシンプルな思考で考えていました。
まずは「好きなこと」を自覚する、「私これが好き」と他の人に言ってみる、やりたいことはすぐにやる。やってから、クールに考えてみる。そういう一歩が、みなさんの夢をかなえる一歩かもしれません。
(本の情報:国立国会図書館サーチ)
写真提供=ふじポンさん