宮城県名取市で「せり」をつくる、せり農家の三浦隆弘さん。おいしいせりを出荷する農家としてはもちろん、「せり鍋」のムーブメントを起こした仕掛け人としても知られています。せりや農業に対する思いや、せり鍋を仕掛けようとしたきっかけなどをお聞きしました。
せりを次世代に受け継いでいくために
せり農家で生まれ、せり農家で育ちました。高校卒業後、農業短大に入り、20歳で就農しています。迷いはなかったですね。当時から、自己実現の一つとして農業を捉えていました。
就農してすぐは、農家の人手として作業を覚えていきましたが、それと同時に、環境保護を考える市民団体に入ったり、ボランティアをしたりしていました。せりは土と地下水がとても大事です。自然の大切さは幼いころから身をもって感じていたので、在来作物や有さ機栽培について、もっと学びたかったんです。リサイクルのボランティアをやったり、海にゴミを拾いにいったり、大学の先生のところに行って研究したり。若い時は好奇心の赴くままいろいろやっていました。
その頃の知識は数十年経った生きていますし、学びや活動は今も続けています。
せりは、江戸時代の文献にも名前があるように、この名取という地域で少なくとも400年前から続く在来作物です。せりという作物を次世代に受け継いでいくためには、私たちの世代が土と水を守らないといけません。どうすればそれを実現できるか、日々考えながら、せりを育てています。
仙台名物「せり鍋」の誕生
そんな歴史を持つ「せり」を使って、仙台名物を生み出したいという思いから生まれたのが「せり鍋」です。
私は、地域の誇りは地域の人たちと地域の食べ物によって生まれるのではないかと思っています。仙台は「リトル・トーキョー」と言われるように、東京の文化に依存して成り立っている側面があります。「タピオカミルクティー」のように、東京の流行が少し遅れて仙台にやってきて大流行する、という現象には、皆さんも覚えがあるでしょう。それに、「牛たん」や「笹かま」などの仙台名物も、その原料は海外から輸入したものです。仙台エリアの産品を使った仙台名物をつくることは、仙台に暮らす人の誇りになるんじゃないかと思いました。
せり鍋は最初、知り合いの飲食店と始めた小さなムーブメントでした。鶏や鴨でとったダシに、根っこまでぶつ切りにしたせりをどっさり入れて食べる。栄養補給や娯楽で食事するというよりは、旬に出会う鍋にしたかった。
お店にメニューとして出始めて、だんだんムーブメントが起き始めてきたな、というのがちょうどみんながSNSをやり始めるくらいのタイミングだったので、今で言う「映え」も意識しました。味は食べてみないと分かりませんが、見た目がおもしろい料理は拡散されます。せりを山盛りに盛り付けてみたり、あえて根っこを上に盛り付けたり、見た人が「なんだこりゃ」と思えるような工夫をしました。そして何より大事にしたのは、おいしいせりを使うこと。うちのせりは土がいいので、根っこに旨みがたっぷり集まります。葉のシャキシャキした食感と根っこの旨みが楽しめるよう、栽培方法まで気を配っています。
せり鍋に根っこを入れたのは、地元でそういう食べ方があった、というのもありますが、一番は「根までおいしいこと」を知ってほしかったからです。根のおいしさというのは、土や水にトコトンこだわらないと現れてきません。適当な栽培方法だと、泥臭くなってしまう。そこまでおいしいんだ、という面白みや、喜びを感じてほしいなと思いました。
せり鍋を始めたころはあまり大きく宣伝したりしませんでしたが、コツコツ続けていくと、だんだんメディアの人が話題に出してくれるようになりました。多くの人の協力で努力が実り、だんだん認知が進んでいって。今では仙台名物のひとつに数えられるようになりました。
このムーブメントに参画して強く感じたことは、信じた道を突き進んでいけば、誰かが応援してくれるということです。それを突き詰めれば、いつか世界レベルの仕事ができるのではと考えています。
何かを始めようとするとき、私が大事にしているのは現場に突っ込んでいくということです。仲良くなりたい人や行きたい場所にどんどん突っ込んで、いろいろな話をしてくる。そして感じたこと、学んだことを、文章にして発信するのを意識しています。
人と話す時、私は相手の話を引き出すようにしています。決して論破せず、筋道をたてようとせず、話がとっ散らかるようにしていくんです。アメーバ状に話がつながるほうが、新しいアイディアがどんどんでてきますし、会自体もおもしろくなる。「相手を否定しない」「過剰に語らない」「機嫌悪くならない」を意識して話を広げれば、自分にとってもみんなにとっても意味のある空間になる。そういう場で生まれたムーブメントは、実りあるものになりますし、広がりも出てくると思います。
環境の変化に合わせ、自分自身も変化
私は今、400年続いているせり栽培のバトンを受け取っている状態にあります。次の世代にこのバトンを渡すという責任があります。具体的には、せりという在来野菜の遺伝子資源を受け継いでいかないといけません。その責任は、せりをつくり続けるだけで、果たせるものではないと思っています。
近年、大きな環境変動が起こっています。数十年前と今とでは、せりが育つ冬の気温も大きく変わってきています。植物自体が、環境の変動に対応しきれなくなっている。そんな変化のなかにいる私たちはまず、水や土、植物の変化を観測しないといけないと思っています。観測したうえで、植物にどんな可能性があるか、考えていかないといけません。
なにかを守り続けるためには、環境の変化に合わせ続け、自分自身も変化していく必要があります。どう変わればいいのか、一定の答えを見出していきたいと思っています。
(本の情報:国立国会図書館サーチ)