DMAT(災害派遣医療チーム)の一員としても活動し、災害医療にも携わっている臨床工学技士の方に、医療の道に進むきっかけや、救命救急に携わっている思いを聞きました。高校3年生の時に進路を考え直して医療の道に進んだ、そのきっかけにはどんな思いがあったのでしょうか。ぜひそのストーリーをお読みください。
「臨床工学技士」を目指して
大阪府の出身で、関西で「臨床工学技士」の仕事をしています。子どものころから、何かを組み立てるのが好きで、それで高校は工業高校に進みました。プラモデル、ミニ四駆、ラジコン…色々なものを組み立てるのが好きでした。高校3年生の夏までは、大学の工学部に進もうと思っていたのですが、入学の願書を見ながらもやもやを感じていました。なぜかというと、小さいころから医療関係の道に進みたかったからです。実は小さい頃は病気やけがが絶えず、何度も入院をしていました。
病院で看護師さんにお世話になったので医療系の道に進みたいなと思いつつ、医師になるのは学力的に難しいと感じていました。看護師になっても、男性なので50代、60代になった時に看護師として働いているイメージができず、医療の道をあきらめていました。
でも高校3年生の時、やっぱりもやもやして、インターネットで「医療 職種」みたいなキーワードで調べてみました。すると「臨床工学技士」という仕事を見つけました。「生命維持装置の操作・保守点検を行う仕事」というような説明が書いてありました。
自分はもともと機械が好きで工業高校で学んでいたこともあり、これなら自分の知識が生かせるのではないかと考えました。「お世話になった方に恩返しをしたい」と臨床工学技士を目指すことにしました。そこから専門学校に4年間通い、臨床工学技士として兵庫県の病院で働き始めました。
災害医療に取り組む
臨床工学技士として病院に勤務しながら、救命救急の仕事に取り組んでいました。そこから災害医療に打ち込んでいくきっかけとなったのが、病院に「ドクターカー」が配備されたことでした。このドクターカーは救命医療が必要な時や災害時に医師を載せて出動する車なのですが、上司だった医師から、その運転をしてみないかと言われました。私は車の運転も好きでしたしバイクも運転している経験があったので、引き受けることにしました。
ドクターカーの運転手として出動することもいいのですが、ただ運転をしているだけではもったいないな、と思い、自分でも現場医療に関する勉強をして、色々な知識・技術を身に着けたいと思うようになりました。心肺停止の対応方法、交通事故への対応、脳卒中の患者さんへの対応…週末は色々な勉強会に出かけていきました。上司の医師からは「勉強会を受けるだけではなく、人に教えられた方が見につく」とアドバイスをされたので、人に教えられるようなインストラクターの資格を各分野で取得していました。
色々な勉強をする中で、自分が勤務している病院で、DMAT(災害派遣医療チーム)の受講枠が回ってきました。DMATは災害時に人命救助のために災害現場に派遣される医療チームです。貴重な機会だったので研修を受けることを決め、丸4日災害医療について学び、2009年8月、26歳の時にDMATの隊員になりました。その研修では多くを学んだのですが、正直知識を詰め込むのに精一杯で、もっとしっかりと理解したいなと思い、翌月からは研修のサポートを行い、研修のお手伝いをしながら災害医療について学んでいました。
災害の現場にも何度も出動をしてきました。2011年の東日本大震災の時には震災翌日に岩手県に入り、空港に臨時の医療拠点を立ち上げ、傷病者の受け入れ対応や沿岸部の病院の支援、沿岸部の孤立集落の避難誘導等を経験しました。当時、医療ニーズを知るためには情報収集が大切ということを痛感したので、この経験をもとに、衛星通信ができるアンテナやドローンを備え、災害時のDMATの拠点となる車「DMATカー」の開発に関わりました。2016年の熊本地震や2018年の西日本豪雨、2020年の熊本豪雨などでも活動し、DMATの現地本部のメンバーの1人として情報収集や医療チームをどこに派遣するかを考えるなどの対応を行っていました。
新型コロナウイルスの治療に携わる
現在は新型コロナウイルスの治療にも関わっています。コロナウイルスの重症患者に装着する人工心肺、ECMO(エクモ)の操作も担当しています。ECMOの使い方について病院内の看護師に勉強会をして伝えることもあります。振り返ってみれば2020年の年末、デルタ株が広がって一気に重傷者が増えた時は本当に大変でした。災害医療を経験しているので、ずっと災害が進んでいるような感覚です。
大変だったのは、自分が新型コロナウイルスにかからないようにすること。自分が働いている病院の臨床工学技士の人数は少ないですから1人かけただけでも残りの技士に負担をかけてしまうことにつながります。とにかくコロナにかからないようにすることを心掛けていました。その中でやりがいを感じることもあります。ECMOをつけていた患者さんが回復して、ECMOが外れて元気になっていく様子を遠目に見ていると、よかったな、と嬉しく感じます。
やりたいことをやってみる
医療については、勉強を続けないといけないなと考えています。まだまだ人間の体についてはわかっていないことがあるなと実感をしていて、ついこの前まで「この方法が正しい」とされていたことが、医療が進んだ結果「こっちの方法がよりいい」、とされることも少なくありません。特に私が取り組んでいる急性期医療については、そのような傾向があるというように感じています。
自分自身、やるべきことはやったかなという感覚を持っているので、今後は次世代を育てることにも力を入れていきたいと考えています。もともと、教えることは好きですし、これからは後輩たちのために自分の経験を伝えていきたいと考えています。
実は診療工学技士の仕事を一度離れて、30代の時に2年間ほどカメラマンをやっていた時期があります。専門学校の時からカメラが大好きで、病院に勤めている時も送別会の時の写真や動画を作っていました。20代の時は頑張って働いて、「やりたいことができなかったな」という思いがあって。どうしても、カメラマンがやりたくて、それでフリーランスのカメラマンとして独立したことがあります。デザイン会社と契約して写真の仕事を頂いたり、医療の経験がありますから、医療系の学会の記録写真のお仕事を頂いたりしていました。でも、2年、長くても3年でやめようとしていました。それ以上やったら、医療の現場に戻れないと考えていたからです。実際に2年間でカメラマンの仕事をやめて、医療の道に戻り、そして少し経ってからコロナ禍になり、新型コロナウイルスの患者さんへの対応を行っています。
医療を目指すみなさんには、医療の道は職種や資格がたくさんあるので、ぜひいろんな職種を知ってほしいなと考えています。医療は誰かの役に立つ仕事。誰かのために、という思いがあれば頑張れると思います。自分が「やりたいこと」であれば、どんなに大変なことでも頑張れると思います。ぜひ希望を持って頑張ってほしいと思います。
(本の情報:国立国会図書館サーチ)