あなたは何を取材し、発信する?記者という働き方

目次

社会のことを知る



皆さんは「記者」という職業を聞いたことがありますか?私も、高校1年生になるまでは、聞いたことがない職業でした。私がその職業を知ったのは、高校1年生で参加した、大学のオープンキャンパスのことでした。教育学部のオープンキャンパスに参加したのですが、その時に大学での体験談を話してくれた女性の先輩が、「大学を卒業したら、まずは社会のことを知るために、新聞記者になります」と話していたのです。

「記者」という職業を知った私は、高校の図書館に置かれていたスポーツ雑誌に目が留まりました。野球、サッカー、バスケットボール、バレーボール…スポーツの一瞬を切り取る、鮮やかな写真とともに、生き生きとした文章が並んでいます。文章を読んでいるだけでも、光景が頭に浮かんできます。文章の最後は取材:○○という文章で締めくくられていました。なるほど、新聞記者だけじゃなくて、雑誌の記事を書く記者さんもいるんだなあ。スポーツライターという仕事もあるんだと思いました。それからは勉強の息抜きにその雑誌をたまに読んでいました。

それから5年。大学生になった私は、大学卒業後の職業を選択するタイミングになりました。色々悩んでいた時、5年前のオープンキャンパスで聞いた、「まずは社会のことを知るために、新聞記者になる」という言葉がよみがえってきたのです。

「まずは社会のことを知る」。という言葉を意識した理由は、当時の世の中が大きく変化していたからです。当時は2012年。東日本大震災からまだ1年しか経っていないタイミングでした。被災地の復旧復興をどうするのか、どんな街をつくるのか、福島第一原子力発電所事故の終息はどう進むのか、日本のエネルギーをどのように考えていくのか。考えるべき課題がたくさんあって、世の中が今後どうなっていくのか、ということが見えない、そんなタイミングでした。もしかしたら、新型コロナウイルスの流行で先行きが見えない今と状況は似ているかもしれません。そこで、まずは「この世の中のことを見たい、知りたい」という好奇心から新聞記者を目指し、無事新聞社への就職が決まり、出身地から遠く離れた広島で記者生活をスタートしました。なかなか仕事は大変でしたがやりがいを感じていました。

状況をよく観察する


自分は岩手県出身で大学は東京の大学に通っていたのですが、いきなり「広島」に行くことになりました。それまで、西日本とはなかなか縁がありませんでした。しかし実際に広島に行ってみると、言葉の違いや食べ物の違い、文化の違いを感じました。瀬戸内海に浮かぶ島々はとても美しく、若いうちに異文化に触れるという経験はとても刺激になりました。今思えば「国内留学」したようなものかもしれません。



そして、原爆の日である8月6日を、広島で迎えられたことも一生心に残る瞬間です。有名な「原爆ドーム」の近くにある公園で取材をしていましたが、子どもから若者、お年寄りまで多くの方が公園に足を運び、慰霊碑の前で祈りをささげていました。暑い一日でしたが、広島の街の奥底から平和を願うエネルギーが沸き上がるような、そんな一日を肌で経験しました。

入社したらやってみたかったことが、スポーツに関する取材です。高校時代にスポーツ雑誌を読んでスポーツライターに憧れた経験もあります。自分自身も陸上競技や弓道などいろいろなスポーツに挑戦してきましたし、観るのも好きでした。そして、念願かなって、高校野球の取材担当になりました。とはいえ、高校野球の取材は、ただ試合を見ていればいいというわけではありません。

例えば、試合で守備側のチームがピンチになった時、キャッチャーがピッチャーのところに歩み寄って、声をかけるタイミングがあります。そのタイミングを見逃さず写真を撮り、手元のスコアブックに、何回、何アウトの状況で声をかけたかメモしておくのです。このとき、どんな言葉をかけたか、知りたくなりますよね。

さあ、試合が終わりました。キャッチャーに何と言葉をかけたか尋ねたら、「気持ち込めて投げて来いよ」ということを話したそうなんです。これで記事が書けます。新聞記事作りはスピード勝負。だからこそ常に状況をよく観察してネタを集めることが大切です。

また、のちにプロ野球に進む選手を取材できたのは一生の思い出。高校卒業後プロ入りした、ある選手と街で遭遇した時に気持ちよく挨拶してくれたことは忘れられません。プロに進む選手は礼儀もしっかりしているんだなと実感しました。

つらい経験でも、いつかは報われる


実は野球にはあまりいい思い出がありません。小学校の時は野球をやっていて少年野球チームのキャプテンをしていましたが、レギュラーにはなれず、後輩に「キャプテンベンチ」と呼ばれていました。その経験から団体競技を離れ中学校は個人競技である陸上の長距離、高校は弓道にチャレンジしていました。

野球を離れてから10年。不思議なご縁でしたが、取材していたチームが甲子園初出場を決めて、自分も甲子園の土を踏むことができたのです。自分もほんの少しだけ野球の経験があったので、選手の気持ちに立って、記事を書くことができました。つらい経験でも、いつかは報われる。だから、人生って面白いんだと思います。

おすすめの本
河北新報社「河北新報の一番長い日」(文藝春秋)

東日本大震災時の宮城県の地方紙・河北新報の対応を追ったドキュメンタリー。被災しながらも新聞発行を続けた新聞社の気概や被災地で取材を続けた記者たちの思いが知れる一冊。

(本の情報:国立国会図書館サーチ)

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

東京大学教育学部卒業後、全国紙の新聞記者として広島総局・姫路支局に勤務し事件事故、高校野球、教育、選挙など幅広い分野を取材。民間企業を経て、2021年に株式会社オーナーを起業し、本教材「探究百科GATEWAY」を開発し編集長を務める。

目次