岩手県山田町の建設会社「佐々総業」の佐々克考さん。地元・山田町で建設会社を立ち上げ、東日本大震災の復興工事などにも携わってきました。建設業の役割や面白さ、どのように技術を磨いていくのかについて、お話を伺いました。
地元への思いの変化
山田町で生まれ育ちました。小中学生の時は野球や柔道に取り組んでいて、勉強よりも体を動かす方が好きでした。その後、建設業の世界に飛び込みました。いくつかの会社で働いた後、24歳の時に、個人事業主として独立しました。特に建設業の「足場」を組む工事には力を入れていました。
足場とは建物などを建てる時に使う仮設の床や通路のことです。工事作業を行う作業員が使う足場になります。
「足場」の仕事は、最初から最後まで建設現場に関われる仕事。最初に入って足場を組み、建物の建設が終わって足場を取り外すまで現場にいて、色々な人と関われることが面白いです。
当時は、お金を稼ぐために、地元の山田町だけではなく、山田町の外にも仕事を取りに行っていました。全国を回って色々な建物に足場をかける仕事をしながら、東北でやっていない技術や材料を学びました。
そこで、東日本大震災が起こります。山田町も津波やその後に発生した火災で大きな被害を受けました。建設業に携わる者としてがれき撤去や町の復旧に関わりたいと思い動いたのですが、必要な資格が足りず、その仕事をすることができませんでした。
この時感じた、無力感は忘れられません。そこで、スイッチが入りました。創業してからは、地域に対する思いが薄く、どちらかと言えば、お金を稼げればいいと思っていました。
震災の後からは地元のために何ができるか?を考えるようになりました。急いで必要な許可を取り、技術者をかき集め、許可申請をしました。それまでは個人事業主としてやっていましたが、会社の形も株式会社にしました。それからはがれきの撤去や土砂の運搬、道路工事などの復興工事に取り組むこともできました。
「未来の足場」を作っていく
私たちの強みは「足場」をかけること。もともとは、住宅やマンションに足場をかけていたのですが、競争相手が多く、価格競争も激しいなと感じていました。
そこで、注目をしたのが、より大掛かりな工事の足場でした。例えば、橋やトンネル、山の斜面、ダムなどにかける足場。建物やマンションなど建築系の足場は多いのですが、この技術を持つ会社は地元でも数少ないと考えています。震災後に全線が開通した三陸自動車道の工事では、高さ約90メートルの大きな橋の橋脚に足場をかけました。
橋の修繕工事を担当することもよくあります。端については建設から時間が経てば老朽化していきますので、橋のメンテナンスや色の塗り替えなどが必要になります。新しく橋を架けるのは大変なので、このような補強工事のニーズは今後も高まっていくと思います。
他にも、山の斜面に大掛かりな足場を作ったこともあります。これは土砂崩れを防ぐために斜面をコンクリートで固めているのですが、その作業をするための足場を組みました。足場を使うのは、工事をする会社の方々なので、その人の気持ちになって足場を作っています。
足場は建物ができたり、工事が終わったりするとなくなってしまいます。「仮設」、つまり仮に建てられた建築物なのでずっと残るものではないですが、この足場がなければ、工事をすることができません。足場一つで事故を未然に防ぐことができるかもしれない。社員にはいつも「未来の足場を作ろう」と伝えています。形には残りませんが、むしろ自信と誇りを持って行こうと伝えています。
今までの建設業にとらわれない、次世代の建設業を目指して取り組んでいます。まず安全を第一に、ドローンやICTの活用もそうですし、海外の技能実習生も積極的に受け入れています。カンボジアやベトナムから技能実習生を15人ほど受け入れていて、建設機械(重機)の運転や、左官工事、足場のくみ上げなどを学んでいただいています。彼らは人の気持ちを知る力がすごいと感じています。言葉が話せない分、人の表情から読み取る力がすごい。私たちも、実習生の持つ違う価値観から学ぶことはたくさんあります。
建設業は、「地域を守っている」という面白さがあります。例えば早朝の除雪作業。朝、通勤の車やバスが通る前に私たちが道路の除雪をするのですが、「今日もバスが通せたな」という達成感がある。例えば大雨や河川の氾濫の時、建設関係者はすぐに現場に駆け付けていきます。なかなか表に出ない仕事かもしれませんが、「縁の下の力持ち」という役割があると考えています。
とはいえ、若い方は建設業について「大変そうなんじゃないか」というイメージを持っていると感じています。会社でインスタグラムの発信にも力を入れていてフォロワーは1000人以上います。大学生のゼミの実習も受け入れていますし、建設業という仕事を選択肢に入れてもらうためにも、魅力をどんどん若い世代に発信していかなければいけないと考えています。
事業を通して地域に貢献
人口減少が進む山田町では、色々な業界で担い手が足りていません。漁業や水産業が盛んな地域ではありますが、その漁業でも担い手が不足しています。街の担い手不足を、建設業とのかけ合わせることで解決をしていきたいと考えています。
例えば、林業。山田町は豊かな海があり、ホタテなどの養殖が盛んなのですが、それは山からの栄養分があるからです。ただ、その山の手入れができていないと感じています。林業に携わる方も高齢化しています。建設業も林業もトラックや機械を使うという共通点がありますし、林業よりも建設業で働いている人口の方が多い。復興のための工事も減っていく中で、うまくかけ合わせれば、可能性があると感じています。
福祉の事業についてはすでに取り組んでいます。障害者の就労支援事業所を運営しており、そこで障が者の方を雇用。お菓子作りなどに取り組んでいただいています。地元の菓子店から事業を引き継ぎ、山田町に江戸時代から伝わると言われる「山田せんべい」の製造もおこなっています。
雇用しているのは主に精神的に障がいを抱えた方で、もともとは一般の会社で働いていた方々もいらっしゃいます。社会とのつながりを持つことで、社会復帰のサポートをしたいと考えています。
自分の会社の建物を新しく建てることが決まっています。近くに小学校、中学校、高校もありますし、子どもたちが集える場所にしたいと考えています。今40歳になりましたが、「俺が何とかしないと」という思いで地域に貢献していきたいと考えています。
(本の情報:国立国会図書館サーチ)
写真提供=佐々さん