飛行機の安全な運航を支える工夫とは何か?

仙台空港を舞台にした、探究の第2弾。今度は、飛行機の安全な運航を支える工夫について編集長がお話を聞きました。表にはなかなか出てこない、飛行機を運航するための工夫は、驚きの連続でした。(協力:仙台国際空港株式会社)

前回の取材(リンク)で仙台国際空港株式会社を案内してくれた広報担当の髙山東志江さん。髙山さんからは今度は「滑走路(かっそうろ)などを管理する飛行場面管理の業務についてぜひ調べてみてください」と勧められ、空港運用部の北條大喜さんにお話を聞きました。

北條さんの祖父母の家が仙台空港のすぐ近くにあり、空港は身近な存在でした。空港や、みんながワクワクしてどこかに向かう雰囲気が好きだったそう。航空系の専門学校を卒業後別の仕事を経て仙台空港で働いています。

北條さんが担当しているのが、滑走路の維持や管理、そして飛行機が駐機する場所などを管理する仕事。また空港における防災訓練なども担当しているそうです。(駐機:車が駐車というように、飛行機は駐機といいます)

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広大な滑走路を維持する

仙台空港には滑走路が2つあり、長い方の滑走路は長さが3000メートル、幅が45メートル。3階の展望デッキから眺めると、その長さ広さに圧倒されます。これだけ長く広いと、どんな大変なことがあるでしょうか??

まずは、冬です。自動車は冬になると「冬用タイヤ」に変えますが、実は飛行機には「冬用タイヤ」がありません。なので、飛行機が安全に離陸や着陸できるように滑走路の路面を整えておかないといけません。滑走路に雪が積もったら雪をどかさないといけないですし、路面が凍ってしまってもいけません。そこで冬場は夜間でも除雪車を動かして滑走路の雪を除雪したり、雪を片づけたりしているそうです。

北條さんは「飛行機の運航を遅らせてはいけません」と語ります。実は飛行機は電車やバスのように、目的地(終点)まで行ったらそれで終わり…ではありません。例えば仙台空港→福岡空港→○○空港→××空港のように、1つの機体が色々な空港を飛んでいくのです。そうなると、少しの遅れが色々なところに影響してしまいます。

飛行機が着陸している様子を見ていると、飛行機が着陸した瞬間、タイヤから一瞬煙が上がったのが見えました。確かに飛行機に乗っていると着陸の時に結構な衝撃がありますが、飛行機を外から見ていても相当な衝撃がありそうです。

北條さんに聞くと、「重さ数百トンもある飛行機が着陸するときの衝撃はものすごい。滑走路も痛むんです」と話していました。滑走路の劣化や損傷を発見し、滑走路面に引いてある線の引き直しや、灯火(ライト)がちゃんと光っているか、故障などしていないかの確認や、滑走路に落ちている小さなゴミ拾いも欠かせないそうです。なお仙台空港の滑走路の線は一部オレンジ色で、これは雪が降っていても見えやすくなるためだそうです。

滑走路を見ていると、アスファルトとアスファルトの間が草地になっているのに気づきました。

なぜ草地帯になっているのか北條さんに尋ねると、万が一着陸に失敗して滑走路を外れてしまった場合、アスファルトの滑走路よりも草地の方が飛行機の速度を緩めることができ、機体へのダメージを和らげることができるからだそうです。

ただ、やはり草地の手入れは大変です。草が伸びすぎると小動物の隠れ家になったり、標識が見えづらくなったりしてしまいます。夏場は草を刈って短く刈り揃えることが欠かせないそうです。暑い夏に広大な草地帯を刈る大変さが想像できました。

北條さんは「飛行機1機を飛ばすのにたくさんの人が関わっている」と話します。仙台空港には100以上の機関や会社がかかわっています。滑走路を整備する人、空港内を警備する人、何かあった時のために、空港専用の消防車も常駐しています。

何かあった時の訓練は欠かせません。高校で「避難訓練」があるように空港でも日々の訓練を繰り返しているそうです。2年に1回の総合訓練では、飛行機事故があった時のことを想定し、警察や消防、医療機関とも連携し、空港で働いている人も大勢が参加して、訓練が行われます。

また、仙台空港は東日本大震災でも3.02メートルの津波に襲われ、約1700人が避難しました。職員を除く全員が助け出されたのは震災発生から6日目でした。その時の備えが十分ではなかった反省から毛布や非常食などの備蓄品の準備をはじめ、地震・津波に対する訓練も繰り返し行っているそうです。

北條さんにやりがいを聞くと、表に出る仕事ではないが、飛行機が無事時間通りに飛んでいる様子を見ると「安全を守れてよかった」という思いになるといいます。安心安全な飛行機の旅を楽しんでもらうために、見えないところで多くの方が働いていること、そのありがたみを実感しました。

◆探究を振り返って

飛行機に乗ることはあったが、自分が気づかないところで多くの方に支えられていることがわかった。知らない世界を勉強することができた。私たちが見えている世界はごく一部で、実は見えていない世界の方が大きい。日々の暮らしが多くの方に支えられていることを心に刻んで生活したいと考えた。

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この記事を書いた人

東京大学教育学部卒業後、全国紙の新聞記者として広島総局・姫路支局に勤務し事件事故、高校野球、教育、選挙など幅広い分野を取材。民間企業を経て、2021年に株式会社オーナーを起業し、本教材「探究百科GATEWAY」を開発し編集長を務める。

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