地鶏「川俣シャモ」のおいしさを全国に広げる

福島県川俣(かわまた)町で飼育されたブランド地鶏「川俣シャモ」。その肉質は高く評価され、東京の高級料理店でも提供されています。この川俣シャモはもともと川俣町で生産されていたわけではなく、1983年から町の名物を作ろうとブランド化が始まりました。川俣シャモの販売を担う川俣町農業振興公社の渡辺良一社長に、おいしい川俣シャモが誕生したストーリーを伺いました。

目次

新たな名物の誕生

川俣シャモを川俣町の名物にする取り組みが始まったのは、1983年のことでした。当時の川俣町には名物がなく、町内の飲食店でも川俣町産の食材ではなく、海沿いの町から仕入れたお刺身などが提供されていました。当時の町長が「何かおもてなしができるごちそうを作れないか」ということで目を付けたのが、シャモ(軍鶏)でした。

実は、シャモと川俣にはつながりがありました。川俣町は江戸時代から昭和時代まで絹織物の生産で栄え、その絹織物の生産で財産を得た機屋の旦那衆が観賞用や闘鶏用としてシャモを飼っていたのがはじめと言われていました。ただ、シャモは天然記念物のため食用にはできなかったのですが、シャモと別のニワトリをかけ合わせて初代「川俣シャモ」が誕生しました。

しかし、初代の「川俣シャモ」は思ったようには売れませんでした。シャモの肉はもともと筋肉質のため、焼くとどうしても肉が固くなってしまうという欠点があり、初代の「川俣シャモ」が誕生してから10年ほどは加工品の需要と福島市内、川俣町内の飲食店で消費されるくらいでした。

転機になったのは1996年です。より柔らかい肉を作ろうと県の畜産試験場の協力で品種改良が始まり1998年に3つの品種をかけ合わせた、新たな「川俣シャモ」が誕生しました。

この「川俣シャモ」の肉は初代の川俣シャモよりも柔らかく、適度な弾力はあるが、噛むほどに鶏肉の旨みが広がり何より焼き鳥等の焼き料理にも合う肉質へと進化しました。そのおいしさが知られるようになると、地元だけではなく東京の飲食店からの需要も多くなり、私が勤務している川俣町農業振興公社でもより積極的に全国に向けてPRしていくことになりました。

高級料理店にも評価された川俣シャモ

 私は営業の担当として、展示会、商談会などで積極的に首都圏のお肉屋さんや料理店にPRを重ねてきました。川俣シャモのおいしさを伝えるには、食べて頂くことが一番。お肉屋さんや料理店の方、シェフの方に食べて頂きシャモのおいしさを味わっていただきました。その結果、高級和食店、高級フレンチ料理店やイタリアン料理店などで扱われるようになりました。海外出身のシェフにも川俣シャモの品質が高く評価されていました。

 私自身、子どものころから料理が好きでした。祖母がカレーを作っていて、仕上げのカレー粉を入れるのが私の役目。カレーを食べた家族に「おいしい」と言ってもらえることに喜びを感じました。なので、川俣シャモを焼いたり、鍋や親子丼を作って料理したりするのは自分でも好きです。おいしい川俣シャモを全国の方に食べてもらえたり、笑顔になってもらえたりすることにやりがいを感じています。

震災とコロナ禍を乗り越える

2011年の東日本大震災は川俣シャモにも影響しました。川俣町は内陸部にあるため津波の被害はありませんでしたが、原発事故の影響による風評被害を受けました。一時シャモの出荷量は落ち込みましたが、放射能のモニタリング検査を行って安全性を毎週確認し、Hpに掲載したり、依頼があれば提出したりと安全面を訴えました。放し飼いは止め、鶏舎を倍増することで飼育面積を確保し、出荷量は徐々に回復してきました。

逆に震災をきっかけに「復興を応援したい」という全国の方々とつながることができました。例えば川俣シャモを使ったレトルトカレーなどは震災前よりも販売が伸びていきました。

川俣町内でも、「川俣シャモまつり」というイベントで「世界一長い川俣シャモの丸焼き」に挑戦。毎年のように100羽以上の川俣シャモを長い串にさして丸焼きにするイベントを開催し、川俣シャモをPRしてきました。

出荷量が回復してきたタイミングで、今度は新型コロナウイルスに見舞われました。新型コロナウイルスの影響で営業時間を短くしたり、休業したりした飲食店がありますが、川俣シャモを提供していた飲食店でもそういうお店があり、川俣シャモの需要・ニーズが減ってしまいました。

飲食店用の提供は苦戦している一方で、ご家庭用に開発した川俣シャモの加工商品は好調です。例えば、川俣シャモを使った炊き込みご飯の素はインターネット等を通じて予想以上に売れました。「巣ごもり需要」という言葉がありますが、コロナ禍になり家庭で料理する機会が増え、「家で料理しやすいもの」の需要が伸びたのだと考えています。コロナ禍でなかなか予測ができませんが、今後も「お客さんの需要がどこにあるか」を探っていくことが売り上げを伸ばしていくポイントだと考えています。

つづく川俣シャモの挑戦

これからは、川俣シャモを使ってまだ取り組んでいない分野にチャレンジをしていきたいと考えています。

先日は、地元の小学6年生と一緒に川俣シャモを使ったメニューを考えたのですが、子どもたちから出たアイデアが「防災食」でした。川俣シャモを使った鶏団子のスープを作り、長期保存がきくようにレトルト食品にして、備蓄しています。何か災害があった時に食べられるスープで、温めなくても美味しく食べられるような商品です。東日本大震災の時に赤ちゃんだった子どもたちからそういうアイデアが出てくることには驚きました。

また、今後高齢化社会になっていく中で、柔らかさを売りにした介護食にもチャレンジをしていきたいと考えています。例えば高齢者の方がちょっと贅沢をしたいときに川俣シャモを食べるということもいいのではないかと考えています。そして、川俣シャモのスープも可能性があります。シャモのスープは旨味が詰まっていてとてもおいしく、野菜との相性も最高です。

野菜入りのスープやおじや、リゾット等も考えて行きたいです。

川俣シャモは川俣町の財産、川俣町民の誇りだと考えています。昨年度末には「GI地理的表示保護制度」に福島県では3番目に登録される等追い風も吹いております。

今後はインターネットでの販売にも更に力を入れていきたいですし、ぜひ色々な方からアイデアを頂きながら、川俣シャモを全国に広げていきたいと考えています。

◆おすすめの本
佐伯泰英「新・酔いどれ小藤次」シリーズ(文藝春秋)
「時代小説」をよく読んでいて佐伯泰英さんの本はほとんど持っています。時代背景や人間関係の描写、他人のために何かをなそうとする姿勢、悪者を懲らしめる痛快な物語にひかれています。

(本の情報:国立国会図書館サーチ)

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この記事を書いた人

東京大学教育学部卒業後、全国紙の新聞記者として広島総局・姫路支局に勤務し事件事故、高校野球、教育、選挙など幅広い分野を取材。民間企業を経て、2021年に株式会社オーナーを起業し、本教材「探究百科GATEWAY」を開発し編集長を務める。

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