文化が、そのまちの未来をつくる。

宮城県七ヶ浜町の菖蒲田浜に「SEA SAW」というカフェを構える久保田靖朗さん。アフリカでの経験を経て東日本大震災直後から七ヶ浜町の復興に関わり、「SEVEN BEACH FESTIVAL」や「1000人ビーチクリーン」などの企画を仕掛けてきました。復興の枠を超えて、「未来」について考える久保田さん。彼の信念をお聞きしました。

目次

問題意識を発信する

私は、「企画を考えて、誰かに伝え、仲間を巻き込み実行していく」という生き方を提案したいと思います。心からワクワクすることや強くやりたいと感じることがあるなら、企画をつくって賛同者を得る生き方をおすすめします。私は、企業や団体に就職したことがありません。その時々の社会課題やその時に心で感じる使命感に従って企画をつくり、周りに伝えることで、人のつながりや知恵を頂き、結果として企画を行うことでお金が生まれ、仕事になり、会社になり、つながりを積み重ねて生きてきました。まずは、そういう生き方もあるんだということを、知ってもらえたらと思います。

私が最初に社会に深く関わったのは、中学1年生の時。母のすすめで、ニューヨークのユニセフ本部で行われた世界中の若者が集まる会議に参加しました。約130か国から若者が集まり、自分の国の課題を解決する為に考えた企画の予算を獲得するために、各々がプレゼンテーションをするという会議で。その時の経験が感動的だったんです。

みんなが自分の想いを持ってプレゼンし、その企画について、白熱した議論が行われる。国や地域を背負ってやっていることなので、どのプレゼンターも本気なのですが、全体予算には限りがあるので全部の企画は通らない。たくさん議論した結果、自分たちの国の課題よりそちらの課題の方が世界として考えたら重要だから自分は身を引く、なんてこともあるんです。ほんとうは自分の国の企画を実現したいけど、それでも泣きながら、相手の主張を認めることがある。

私は、世界がこんなだったらいいなと思いました。問題意識を持ち、使命感を持って何かをプレゼンしていくということに、とても感動しました。

高校生になって、私はプレゼンテーションに力を入れるようになりました。プレゼンして、賛同者を得て、資金を集めるようになりました。世界はどうやったらもっと良くなるんだろう、ということを考えるようになったのも、高校生くらいのころです。

はじめは、テレビで発言すれば世界を大きく動かせると考え、俳優や音楽を始めました。音楽活動にのめり込みましたが、そのうち、自分の力の限界に悩むようになりました。そこで、27歳の時、JICAの「海外青年協力隊」でアフリカに渡航したんです。

アフリカでは、音楽などの文化活動を通して教育や国の発展を支援する仕事を依頼されました。革命に参加する若者たちにも出会い、そこで気づいたのが、大量生産大量廃棄の社会は、負の未来しか生まないということでした。

私たちは、経済を成長させ、維持する方法を大量生産大量廃棄しか知りません。でもアフリカの人々と関わるうちに、それではこれからの世界に必要なことは生まれないのではないかと思ってきました。じゃあ人がコミュニティを維持するために何が必要なのか考えた時、思い至ったのが「文化」でした。人が正しく生きるためには「文化」が必要なんじゃないかと気付きました。

文化を残し、未来につなぐ

アフリカでの任期中に東日本大震災がありました。それまで東北に縁はなかったのですが、JICAの仲間たちと帰国後に東北の支援に入り、たまたま訪れたのが七ヶ浜町でした。

私が訪れたとき、町では防潮堤をどうするかという議論が活発になっていました。そこで私は、住民グループにコーディネーターとして関わり、町に提言書を出すお手伝いをしました。

そのコーディネートをするときに、私が提案したのは「反対運動をするのではなく、どういう未来をつくりたいのか、話し合って提案しましょう」ということです。そして、8か月間話し合って出てきたのは、やはり「文化を残したい」ということでした。海とともに生きてきた七ヶ浜の文化を残したい。「仙台圏の週末リゾート」という100年後に残すコンセプトを掲げそのために賑わいの中心になっていた菖蒲田浜地区を整備して盛り上げていきたい。という結論にたどり着きました。

文化は、歴史や、気候や地形が積み重なって出来上がっていくものです。そしてそういう文化は、その土地の人の誇りになります。七ヶ浜町は外国人避暑地という歴史があり、菖蒲田浜は1888年、日本で3番目にできたといわれる歴史ある海水浴場です。地域の人たちは、その歴史と文化を未来に繋ぎたかったと考えたんです。

アフリカで感じたことは、世界どこでも大切なことなんだと感じました。文化は、とても強い力を持っていると私は思います。文化が、そこに住む人にとっての底力になるんです。

さて、行政に対して「こういう未来にしたい」という提言は済みました。あとはどうやって、仙台圏の人が来たくなるような場所にするかということです。

そこで、その時一緒に活動していた20代30代の仲間を集め、「ガレキからビーチへ」というテーマを掲げ、まず2013年に「SEVEN BEACH FESTIVAL」というビーチフェスティバルを始めました。海水浴場としてオープンするのはまだ難しい段階でしたが、まずは「海は怖い」という気持ちをいかに転換するかを考えました。

被災した海ですから最初は約800人くらいしか来ませんでしたが、3000人、5000人と年を重ねるごとにだんだん人がたくさん来てくれるようになり、2017年にはついに念願の海開きが再開し、一夏で約8万人が海水浴に来るビーチになりました。2019年、人と海との関係性がもっと深くなるイベントをしたい考え、SEVEN BEACH Light Up FESと題して、夜の海で白波を光らせ、中秋の名月を含んだ4日間、アートと音楽のイベントを開催しました。

また、2013年からずっとやっていることに、海岸を清掃するビーチクリーンがあります。最初は震災のがれきを除去して浜をきれいにしたいというところから始まったのですが、今は、海岸清掃という本来の役割に加え、私たちの社会の中で海がどんな環境に置かれているのか、私たちの生活は海とどう関わってきて、今後どんなふうに関わるべきなのかということを考える場にもなっています。

SEVEN BEACH FESTIVAL、SEVEN BEACH Light Up FES、ビーチクリーンと、どれをとっても根底にあるのは文化です。七ヶ浜町、菖蒲田地区の人たちが、海とどう関わって来たか、どう関わりたいかということが、震災後の七ヶ浜をつくってきたと感じています。

文化を見つめなおすことは、社会をどう構築していくか、ということに繋がります。それがこれからのまち、そして世界を変えていくことになるのではないかなと思っています。

社会とどのように関わるか

どこかの会社に就職するということは、あくまで結果です。人は、社会と関わって生きています。どう社会と関わって生きていくか考えた結果が、就職だったり、起業だったり、わたしがやってきたような企画だったりするんです。就職しないと生きていけないとか、社会生活に向いてないとか、そういう結果じゃなくて、どういうふうに世界に関わっていきたいかがとても大事なんじゃないかと思います。

進路に迷ったら、ぜひ根本を考えてみてください。そうすれば、誰かが作った仕組みや固定観念から解放されるんじゃないかと思います。

◆おすすめの本
高橋歩「love & Free」(サンクチュアリ出版)
世界をワクワク生きるために必要な視点を、たくさん知ることができます。世界という目線を持つためにも、ぜひ読んでみてほしいと思います。

(本の情報:国立国会図書館サーチ)

写真提供=久保田さん

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この記事を書いた人

東京大学教育学部卒業後、全国紙の新聞記者として広島総局・姫路支局に勤務し事件事故、高校野球、教育、選挙など幅広い分野を取材。民間企業を経て、2021年に株式会社オーナーを起業し、本教材「探究百科GATEWAY」を開発し編集長を務める。

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