「ローカルジャーナリスト」として東北からの発信を続ける

河北新報社の新聞記者を40年勤め上げ、現在はローカルジャーナリストや大学講師として活動する寺島英弥さん。新聞記者として、東日本大震災後に取材を経験。今も精力的に東北の地域の話題を発信し続けています。その思いについて、お話しを伺いました。

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新聞記者として40年

父が中学校教師だったので、教師の子どもは「悪いことはしない。頭が良くて成績もいい、それが当たり前」みたいなレッテルがすごく嫌でした。小さな町で生まれ育ったのと合わせ「とにかく俺は東京に出るんだ」という思いで高校時代を過ごしました。

東京に行けば何か新しい世界が待っている、自分の世界も変わるんだという希望を持っていましたが、既に学園紛争はもう終わっていました。大学の生活に馴染めなくて、大学へは行かずに映画館にばかり通っていました。

 当時はジャーナリズムへの志望があったわけではなく、映画の脚本を書きたい、というふわっとした夢を持っていました。ただ当時は日本映画も低迷期で求人はありません。当時、マスコミの入社試験は就職試験の最後の時期、11月に固まっていました。私も長男でしたし、でも田舎には帰りたくない、ただ仙台であれば東京よりは近い、という折り合いで河北新報社を受けました。新聞記者であれば、人間を書く、人間の努力を書くということで、ドラマを作るのと同じ世界ではないか・・・と自分なりに決着をつけたわけです。

河北新報社へ入社したのが、1979年の4月です。定年後も関連会社の代表を2年務めましたが、純粋に私は40年間新聞記者を続けられたんですよね。ちょうど社内制度ができて、原稿をチェックしたり指示出しするデスクのような管理職になるか、そのまま編集職に止まるかを選べるようになりました。私はその制度の第1号の編集委員になりました。その偶然の巡り合わせで、2011年3月11日を現場の記者として迎え、定年まで8年間、震災を取材することができたとも言えます。

被災地の今を追う

私は福島県相馬市の生まれです。
震災後同じ地方の人たちが原発事故のため避難生活を送っている中で、自分だけ楽しみを求めていいんだろうか、という罪悪感を持った時期が3年ほどありました。
その救いになったのは、私の場合、現実の人、とりわけ私が出会ってきたのは被災地の人たちです。そういった方々の折々の選択や、話してくれた言葉、会って話す中でいただいた生きる勇気、心を動かすような出来事。それを、自分が書き留めないと、この見たもの・聞いたもの・立ち会ったもの、みんな消え去って、永遠になかったことになってしまうんじゃないか、と。

寺島さんの参画するTOHOKU360で連載中の「陸前高田h.イマジン物語」

人の思いとは別に、総理大臣が来た・どこどこを視察した・三陸に来て道路の開通のテープを切った、そういう空々しい復興宣伝ばかりがニュースになります。対して当事者たちの思いは、表に出ないまま、忘れ去られてしまうんじゃないか、と思うこともあります。

その人たちの声を書き留める、書き続ける。いろんな問題っていうのは、時とともに形を変えてあり続けているんだよと。新しい街並みができるのが復興、そうじゃなくて、亡くなった子供は絶対に戻ってこなくて、でもやっぱり本当の復興っていうのはやっぱり人の人の復興こそね、復興なんであって。それをやっぱり自分もやっぱり一緒にやっぱ同じ被災地にいる者として、一緒に歩き続けたいというのがやっぱり今のあれなんですよね。新聞記者を卒業した後も「ローカルジャーナリスト」を名乗って、被災地の今を追っているのは、そういう思いからです。何年経とうが今は今ですからね。

ローカルジャーナリストとして

自分がやるべきことは「伝えること」ですね。新しい世代に伝え残すこと。

ご縁があって、尚絅学院大学で授業を受け持っていますが、これも自分の今までの仕事とは無縁ではなくて。例えば、今の大学生は震災を知らない世代の人たちなんですよね。体験していても「ものすごく大きな地震だった」という記憶、当時小学校低〜中学年だった人たちに、震災の記憶を伝承する、伝え手になってもらえたら、という実践講座をやっています。大学で教鞭をふるい教える側、というより、新しい世代に経験を伝える側、ですね。

<寺島さんの授業風景>

もう一つの目標として自分の中にあるのは、ローカルメディア、ローカルジャーナリズムの活動をもっともっと広めていくことです。

新聞記者を辞めてから出会ったのが、TOHOKU360です。
「元新聞記者の編集長を中心に、各地の若い世代の人たちが新しい地方発のニュースを発信しようというメディアをやっている。一緒に参加しないか?」と、新聞記者時代の先輩で、TOHOKU360でも活動している方から声をかけてもらい、私もメンバーになりました。

地方のニュースが全国ニュースになることを震災で経験しているので、東京でも仙台でも、日本中・世界中どこでも、取材者、書き手のいるところ、発信するところが世界の中心なんだ、と。だから、中央のメディアではなくて、仙台発・東北発のニュースメディアに、もっともっといろんな人が参加して、地域の人にも共有され、全国の人にも届く。そんな発信の場に成長している渦中に自分も関わって、貢献していきたい、というのもこれからの目標です。同じ思いを持った仲間たちが少しずつ共鳴して、繋がって、東北の街にローカルジャーナリストが増えていったらいいな、と期待しています。

おすすめの本
寺島さんのご著書「遺族たちの終わらぬ旅〜亡きわが子よ 悲傷もまた愛」(荒蝦夷)

東日本大地震を取材してきた著者が出会った、わが子を失った親たちの物語を通し、震災とは何か、復興とは何か、歳月が解決できないものとは何か、を知ってほしい。

写真提供=寺島さん

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この記事を書いた人

東京都三鷹市生まれ、とはいえ宮城県仙台市での生活が人生で一番長くなった。 好奇心のアンテナが向いた事には自ら飛び込んでいくスタイルで、ジャンルレスの活動を続ける。 朗読ユニット100グラード主宰、荒浜のめぐみキッチン活動メンバー。

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