岩手県山田町でスーパー「びはんストア」を展開するびはん株式会社 代表取締役社長の間瀬慶蔵さん。なぜ山田町をコンセプトにした商品開発やスーパーだけに止まらないビジネスを展開しているのか、そして今後どんな展望をもっているのか。大学生の時に地元愛が芽生えたという間瀬さんのストーリーをぜひお聞きください。
地元・山田町に貢献したい
中学生の時、私は宇宙飛行士を目指していました。たまたま見たNHKのテレビ番組で「宇宙」が取り上げられており、釘付けになったからです。それからというもの、科学雑誌「ニュートン」を毎月買って読むほど、関心を持っていました。しかし、読み進めていくうちに、宇宙飛行士になるためには「虫歯になってはいけない」ということを知り、「もうだめじゃん、宇宙飛行士になれないじゃん」と諦めることにしました。それでも大学では好きなことを学びたいと、弘前大学の理学部に進学し、宇宙や数学に関することを学びました。
※現在は治療技術が進歩し、虫歯があっても治療していれば宇宙飛行士になれる
JAXA(宇宙航空研究開発機構)ホームページより
https://fanfun.jaxa.jp/faq/detail/169.html
学業以外にも、部活とアルバイトを頑張りました。部活では、スキーが好きだったことから競技スキー部に入部しました。しかし、スキー板などを買い揃えるにはお金が必要です。お金を貯めるためにアルバイトをはじめ、そこで商売や料理の面白さを学びました。例えば、何十万人もの観光客が訪れる弘前城では、インスタントカメラの販売アルバイトをしました。通行客にカメラを販売し、売った額の25%を手当てをもらえるという仕事でした。10日間で20万円以上稼ぐことができ、学生の私にとっては達成感がありました。その他にも、焼き鳥屋さんでのアルバイトを経験しました。塩が何種類もあるようなこだわりの強い店で、接客や串打ちなど、様々な経験をさせてもらい、飲食の奥深さを感じました。売り上げが多いとプラスアルファでお給料をもらえることから、商売のやりがいも感じました。
そんな充実した大学生活を送る私が地元の良さに気がついたのは、ちょうど大学生の頃です。山田町を出るまでは、町のよさがわからなかったのですが、大学1年生の夏休みで帰省したあるとき、バスの中から自分の育った山田湾を見て、電気が走るような感覚になったからです。「自分はこんなに景色が綺麗なところに住んでいたんだ」と。もともと家業のスーパーを継ぐことに対して反発心はなかったので、「商売を通じて地域社会に貢献したい」という気持ちが強くなっていきました。
就職活動の際には、「30歳になったら、家業のスーパーを継ぐために辞めます」と宣言して大手流通グループに入社。全国転勤があったため、全国各地のスーパーを見て歩いたり、新店オープンのノウハウを蓄積したりすることができました。そしてたくさんの人と出会うことができました。
様々な事業展開
約束どおり30歳の時に退職し、株式会社びはんコーポレーションの専務として働きはじめました。前職では全国のスーパーを見ていましたから、「良いところを取り入れて家業のスーパーをよりよくしていきたい」「培った経験を生かしたい」と燃えていましたね。スーパーは町内で一番地元の人が訪れる場所です。地域に貢献したいという想いも持っていました。
しかし、働きはじめて3年が経った2011年3月、東日本大震災が発生。店舗近くの山に登って命は助かりましたが、店舗は地震と津波の被害を受けました。山田町内の変わり様を見渡し、自分一人が生き残ったような感覚でした。
山田町ではスーパーやコンビニを含む店舗の多くが被災。スーパーを営んでいたことから、避難所などに食糧を届けることが使命だと考えた私は、盛岡市の取引先に向かい、商品を積み込んでは山田に運ぶということを繰り返しました。3月15日にはテントの中での販売再開を、その1週間後からは移動販売も始めました。4月に入ってからは仮設店舗をオープン。8月には店舗の再開を果たしました。復旧・復興にあたっては、前職時代につながった仲間たちが助けてくれたり、新店オープンのノウハウがまさに活かされたりと、地元に帰ってきてよかったなと思っています。
スーパーマーケットは「地域の台所」であり、商品を販売することはもちろん、お取引先さまとの商品開発にも力を入れています。
震災後からは、オリジナル商品「山田の醤油」の販売や商品開発を積極的に行っています。レモンを入れたレモポン(レモン入りのポン酢)や、お肉に合う「プレミアム山田の醬油」などを次々に開発しました。
商品開発の時には、色々なメーカーさんとコラボさせて頂いています。例えば山田湾に浮かぶ無人島「オランダ島」をモチーフにしたビールやワイン、お菓子を開発。一から作るのはお金も時間もリスクもかかるので、コラボさせて頂いた方が早く開発ができます。
「山田のモノ・コト」を軸に、町内外の山田のつながりを生かして、コラボ商品を発売しています。
また、スーパー以外にもスポーツジムや飲食店ビハンバルをオープンさせました。スポーツジムは、町民の皆さまや、同級生、従業員に健康でいて欲しいという想いから、大学時代の経験から飲食店をやってみたいという想いからやっています。先述の通り「商売を通じて地域社会に貢献します」という信念のもと事業を展開しています。
さらに、プライベートでは山田町商工会青年部に所属し、まちを盛り上げる活動を行っています。震災前から行っていた花火大会や市内の居酒屋をめぐるイベント「はしご酒大会」などの復活にも尽力しました。
さらに地域に貢献していく
私の今後の展望は、空き地の利活用をして地域を盛り上げることです。震災から11年が経ち、山田町の中心部は整備され、商業施設などが入りました。しかし、今私が思うことは、「これで復興は完了したのか?」ということです。津波の被害を受けた低地部にはまだまだ空きがありますから、土地を利活用して地域を盛り上げたいです。
(本の情報:国立国会図書館サーチ)